UTデータセッション実習第五回。
エマニュエル・レヴィナス(1947→1987/2005)『実存から実存者へ』読書会 第11回
第1章「実存との関係と瞬間」 第2節「疲労と瞬間」第11段落 P63~レヴィナス読書会関係者の方へ。
— まさ (@masakazu_kaigo) 2023年5月15日
皆さま、こんにちは。
当初の予定どおり20日(土)の22時から第11回を開催します。検討箇所は以下の通りです。
よろしくお願いします🙇
・第1章「実存との関係と瞬間」 第2節「疲労と瞬間」第11段落 P63~
※ちなみに主催者は今回もあわてて読んでいます💦 pic.twitter.com/zEdIJvqyq1
newQ STUDY:ワークショップのつくり方 〜組織で哲学するとはどういうことか?〜
本日はこちらにオフライン参加を。と思ったけど諸々あって会場にはいけませんでした。オンライン参加。
newQ STUDY : ワークショップのつくり方〜 組織で哲学するとはどういうことか?〜
- 港区南青山6丁目11−9 VILLA SK 4階
第1回 :「なぜ、ワークショップを行うのか?」
2000年以降、さまざまな現場で取り入れられることが急速に増えてきたワークショップ。ツールの発展によりオンライン開催も増え、もしかしたら人類史上、もっともワークショップが行われているのは今なのかもしれません。
しかし、このワークショップ時代において、ワークショップ自体が語られる機会はまだ少ないのが現状です。
- どのようにワークショップをデザインするか?
- そもそもワークショップにおいて考えるとはどういうことか?
- ファシリテーターは何をおこなうべきなのか?
こういった問いは、ワークショップをつくる上で常に意識されるものです。
あえて批判的なことを言えば、みんなで考えたという既成事実が欲しいために行われるワークショップや、形式的に進めるだけで結果の伴わないワークショップがあるのも事実です。もしかしたらワークショップという形式(もしくは考え方)には潜在的な課題が潜んでいるのかもしれません。
そのようなことに触れながらも、今あらためてワークショップを行う意味や価値について考えてみます。様々な考える場として市民権を得たワークショップを考えることはつまり、組織で考えることはどういうことか? — newQの立場から言うと「組織で哲学するとはどういうことか?」 — を考えることとなります。第1回のテーマは「なぜ、ワークショップを行うのか?」
組織で何かを考えようとするとき、その課題に対してワークショップという形式が果たして適切なのか、そしていざワークショップを開催するとなったとき、その目的や問い、ゴールはいかに設定されるべきか。また何をすれば「考えた」と言えるのか......?
哲学研究者でありながら、さまざまな企業においてワークショップを実践している堀越耀介さんをゲストに、ワークショップの源流となる経験主義教育哲学に触れつつ、深掘りしていきます。
ぜひ、ご参加ください。https://newq-study-6-new.peatix.com/ゲスト紹介
文献
- 荒木寿友(2016)「ワークショップの構造からみた新しい類型化の試み:連続した取り組みとしてワークショップを展開するために」
立命館教職教育研究
https://researchmap.jp/read0156160/published_papers/10531714
史料データセッション:「成果物」欄更新
史料データセッション案内ページの「成果物」欄に以下五点の書誌を掲載しました。
http://bit.ly/hMaterials#products
- 岩永理恵、「生活保護における『適正化』の果ての始まり」(共通論題シンポジウム社会事業史学会50年の回顧と展望) 社会事業史学会第49回大会、2022年5月14日、於・Zoom
- 岩永理恵(2022)「生活保護における『適正化』の果ての始まり」 『社会事業史研究』(62):11-29
https://cir.nii.ac.jp/crid/1520577215666091008 - 岩永理恵「生活保護行政における公的統計の歴史:史資料として利用する可能性と課題」 (テーマ別分科会①生活保護行政における公的統計) 社会政策学会第145回大会、2022年10月8日、於・日本福祉大学東海キャンパス
- 森 直人「「貧困化の過程」の語り方・描き方:『失業対策事業就労者の職業歴・生活歴調査』をもとに」 第95回日本社会学会大会(歴史・社会史・生活史(2)), 2022年11月12日,於 追手門学院大学
- 朴沙羅『記憶を語る 歴史を書く:オーラルヒストリーと社会調査』 有斐閣、2023年 ISBN:4641149437