お客さま

google:日曜社会学+酒井さん
さんづけで呼んでくださるあなたは?



google:日曜社会学+酒井さん+あ・い・し・て・る
迂遠なメッセージの送り方はやめれ。ていうか、新手の嫌がらせかっ!

google:日曜社会学+酒井+命
やればとりあげられると思ったら大間違いだぞ。
↑とりあげてる。


google:日曜社会学+酒井+さ+ん+だ+い+て
いやぢゃ。
というか IPくらい隠してやってくれないとおもろないわw>途中から参戦されたかた

涜書:梅森浩一『出世しない技術』

出世しない技術

出世しない技術

ほぼすべて日々すでに実践しておる。
問題なしっ。

涜書:『ミシェル・フーコー思考集成』(3)

asin:4480790233

  • 59「科学の考古学について:<認識論サークル>への回答」(1968)

だめだっ。激むずい。



『知の考古学』(1969/03)がらみ:



ついで。

など。
こいつ↓は重鎮大集合でみんなで勘違いな事いいあってて笑える:

  • 69「作者とは何か」



【メモ】
ハッキング『偶然』『言葉と物』を再した後でこいつ↓らも読むこと:

  • 77「生物学史におけるキュヴィエの位置」(1970)
  • 81「成長と増殖」(1970)[ジャコブ書評]

涜書:『ミシェル・フーコー思考集成』(3)

てことで3にもどる。
私の初発の素朴な問いは「フーコーはアナールから何を受け継ぎ、またどんな点で距離を取ろうとしたのか」だった。

ひらたくいいかえると、「フーコーは、社会史的な資料操作を 概念史history of ideas に適用・応用した と い う 以 上 の 何 を し た といえるのか(いえないのか)」ということ。
ちなみに、こうした問いをたてる時に私が念頭においている「地図」については、こちらを参照のこと:http://d.hatena.ne.jp/contractio/20040527#1085617640
ところでいま気がついたが、この図には偉大なるアメリ社会学の父・我らが親愛なるタルコット・パーソンズ師が載ってないな.....
これについては、次の箇所が、ある意味では明解(で図式的)なヒントを与えている。

「近著」とは『知の考古学』のこと。引用中の「あなたの本」も同じ。

    • あなたの本は、歴史学と人間諸科学とが互いに反対の向きに変容した、という指摘から始まっています。すなわち、現在、歴史学が、断絶を構成する諸々の出来事を調査するかわりに諸々の連続性を探求しているのに対して、人間諸科学は、諸々の不連続性を探求している、と。
  • 実際、今日歴史家の人々、もちろん私はアナール学派のことを考えているのですが、マルク・プロック、リュシアン・フェーブル、フェルナン・ブローデルといった人々は、歴史学において通常行われている時代区分を拡張しようと試みました。
    例えぱブローデルは、極めて緩慢に発達する物質文明の概念を規定するに至りました。これによって、中世の末から十八世紀にかけてのヨーロッパの農民の物質世界、例えば、景観や技術、製造物や習慣などが、非常に緩慢なやり方で、いわば緩やかな傾斜にしたがって発展したことが示されました。このように現在、歴史学は、従来に比べてはるかに大きなひとまとまりの出来事を記述することができるようになっており、それによって、以前には見出されることのなかった諸々の大きな連続性を目の当たりにすることになりました。そして、歴史学におけるこうした傾向とは反対に、
    諸観念の歴史、諸科学の歴史を研究する人々は、かつてはとりわけ理性の連続的な進歩、合理主義の漸進的な到来といった観点から語っていたのですが、現在彼らは、不連続性や断層を強調しています。
    例えば、アリストテレスの物理学とガリレイの物理学との断絶、十八世紀末の化学の誕生が示すような全く突然の出現。
    私は、いわゆる歴史家の人々が連続性を抽出している一方で、思想史家の人々は不連続性を明るみに出しているという、こうしたパラドクスから出発しました。これら二つの方向はしかし、歴史一般についての同一の方法的再考によってもたらされた、シンメトリカルで逆向きの二つの効果であると私は考えます。[p.199]

この話自体は非常にわかりやすい:

  • アナール:連続性[=長期持続]
  • エピステモロジー:被連続性[=認識論的切断]

の双方を尊重しようとすると生じるパラドクスが フーコーの出発点になっている、と。

というか『考古学』の議論はなるほどそういうものでしたね。思い出しました。>MEDさん
が、あいかわらず『考古学』自体は見つからない罠。


ところで、「集成」の3で『考古学』について語られているもののなかで この対比は何度か繰り返されているが、フーコーが謂う「歴史学」の指示先・外延が(=アナールのことを指しているのか、それともそれ以前/それ以外の、旧来の・同時代の いわゆる実証主義史学も含めてそう言っているのか)、判然としない。このインタビューではようやく、「もちろん私はアナール学派のことを考えている」と言ってくれているので、ここでようやく自信をもって他の論点の精査を開始できる(のだが、フーコーの議論がフォローしにくいのは、こういう↑省略・指示の不明確さにもあると思うことであるよ*。「もちろん」とかいってんじゃねぇよ。)。
* 似たようなことが、「超越論」という語の使い方にも言える。こちらもいくつかインタビューなどを突き合わせると(たいしたことはいってない**ことが)分かるのだが、それは暇があれば触れる。
** これまた(あくまで) フ ラ ン ス の 超 越 論 である


『知の考古学』出版後におこなわれたこの↑インタビューを、出版(1969)前年に書かれた

  • 59「科学の考古学について:<認識論サークル>への回答」(1968)

と比べてみると、次の↓箇所が、上記の箇所↑を敷衍したものだと読める:

冒頭2段落が、それぞれ「アナール」&「エピステモロジー」の話になっている。順に引用すると、

非連続性の歴史
奇妙な交叉が存在している。ここ数十年来、歴史家たちの注意は好んで長い時代区分の方へと向かってきた。あたかも、それらの歴史家たちは、政治的な出来事やそれをめぐる様々な逸話の下に、安定的で崩れにくい諸均衡、知らず知らずのうちに進行する諸々のプロセス、たえず機能している規制、何世紀も経て頂点に達して逆転するにいたる傾向の諸現象、蓄積の動きやゆっくりとした飽和化、歴史についての伝統的な語り方が様々な出来事の分厚い層で覆ってしまった、不動で沈黙した歴史の大きな土台など、を明るみにだそうと企てているようなのだ。そうした分析をおこなうために、歴史家たちは、経済成長のモデルだとか、交換の流れや発展の利潤や人口衰退の定量分析だとか、気候の変動の研究だとかといった、一部は自分たちが拵え上げ、他の部分は受け継いだ諸道具*を使用している。こうした道具を使用することで、歴史のフィールドにおいて、かれらは様々に異なった沈殿層を区別することができるようになった。それまで研究の対象とされてきたリニアな継起交替に対して、深層において相互にずれあい折り重なった関係の総体が置き換わることになったのだ。政治的可動性から「物質文明」に固有なゆっくりとした変化にいたるまで**、分析のレヴェルは多様化した。それぞれのレヴェルは自らに固有な諸々の断絶をもち、より深い層へと降りていくにつれて、区切れ幅は次第に大きなものとなっていく。(非連続的な諸事件のあいだにどのような関係を打ち立てるかという)歴史の古い問いは、これ以後、次のような、一連の難しい問いかけに取って代わられることになる。すなわち、どのような層をどのような他の層と区別すべきなのか、それら諸層のそれぞれに対してどのようなタイプの時代区分とその基準を採用すべきなのか、ひとつの層と別の層との間に、どのような関係性のシステム(序列関係、支配関係、階層化、一次的決定、円環した因果関係など)を記述すればよいのか、といった一連の問いのことだ。[p.101(5901)]

*「一部は自分たちが拵え上げ、他の部分は受け継いだ諸道具」のうちの、「受け継いだ」もののなかに、聖エミール(とその愉快な仲間たち=フランス社会学派)の諸道具がいくつか入っているわけである。フーコー自身はほとんど気にしちゃいないだろうが、社会学の方からみれば、それは重要じゃない事ではない。
** よく言われるように、アナール学派は、「出来事の歴史」(=政治史)に対抗して登場した。「政治的可動性から「物質文明」に固有なゆっくりとした変化にいたるまで、分析のレヴェルは多様化した。」というところの「可動性」という言葉で何が言われているのか判然としないが、「物質文明」に焦点を合わせる事で、そちらのほうから「出来事の歴史=政治史」にも(別の)光が当てられることになった──それによって結果として「分析のレヴェルは多様化した」──ことを述べているのか。
というかこういう対比だな:
政治的(出来事[史]):物質文明 〜 可動的:ゆっくりした
原語は mobile ですか?
そしてこちらが「エピステモロジー」方面。

 ところが、ほぼ同じこの時期、思想の歴史、科学史哲学史、思考の歴史、さらには文学史(それらの固有性についてはひとまず措くとして)とひとが呼ぶ諸領域、つまり、その名称にもかかわらず、多くは歴史家の仕事とその方法を逃れているとされるそれらの学問領域においては、ひとびとの注意は逆に、「時代」や「世紀」といった大きな単位から、断絶の諸現象へと向かうことになった。思考の広大な連続性や、精神の集合的で均質な諸表現、あるいはまた、その始まりから自らをなんとか存在させ完成させようと躍起になる一科学の執拗な生成運動などの下に、いまではひとびとは諸々の断絶の出来事をこそ探そうとしているのだ。

G・バシュラールは認識の無際限の集積に断絶をもたらす認識論的な閾という考えを提示したし、M・ゲルーは、哲学的言説の空間を区切り分けている閉じられたシステム、閉じられた概念構築体を記述した。G・カンギレムは、概念の有効範囲と使用規則における、変化、転移、変換を分析してみせた。文学の分析にいたっては、作品の──あるいは作品でさえもなくテクストの──内的構造こそを問うようになっている。
[p.102]

続けてフーコーの曰く:

 しかし以上のような交叉が幻想を引き起こすことがあってはならないのだ。外見上はそう見えるからといって、歴史的研究のある種の領域[〜エピステモロジー]は連続性から非連続性へと向かい、他の諸領域[〜アナール]──ほんらい歴史学そのものというべきもの──は雑多な非連続性の蝟集状態から、中断されることのない諸々の大きな統一的単位の研究へと向かったのだ、などと想像してはならないのである。じっさいは、非連続性の概念自体が在り方を変えたのである

ここまではよい。問題はこの先。
「非連続性の概念自体が在り方を変えた」という点を敷衍し始めるところで、話が突然むつかしくなるw。

涜書:『ミシェル・フーコー思考集成』(3)

asin:4480790233
てことでしばらくここに繋留するので小見出しを挙げておく。

  • 59「科学の考古学について:<認識論サークル>への回答」(1968)
  • 非連続性の歴史 [101-106:6頁分]
  • 言説的出来事の場 [106-118:12頁分]
  • 言説形成体と実定態 [118-129:11頁分]
  • 知 [129-135:6頁分]
  • 幾つかの注意 [136-142:7頁分] 

「実定態」とか訳すなっての。

涜書:『ミシェル・フーコー思考集成』(3)

再訪。

  • 59「科学の考古学について:<認識論サークル>への回答」(1968)

てことでもうちっと腰を据えて詳細をみていくのである。(以下、引用は段落番号で。)



「非連続性の歴史」
ざんねんながらあんまし内容が無い。ほとんどが、古い「歴史の形而上学」への呪詛、揶揄、自己防衛。
非連続性について語ってくれているのはここぐらい:

非連続性はいまでは歴史学的分析の基本的な要素の一つとなっている。非連続性は歴史学の分析に置いて三つの役割のもとに現れる。

  • まず、非連続性は歴史家の意図的な手続きをかたちづくっている(つまり歴史家がかれの意に反して研究題材から受け取るようなものではない)。というのも、歴史家は、少なくとも体系的な仮説としては、自らの分析のありうべきレヴェルを区別せねばならず、それらのレヴェルに適合する時代区分を設定しなければならないからだ。
  • 非連続性はまた歴史家の記述の結果でもある(つまりかれの分析の効力によって除去されるべきようなものではない)。というのも、歴史家が発見しようとするのは、ひとつのプロセスの境界、ひとつの曲線の転換点、調整的動向の逆転、変動振幅の限界点、ひとつの作用の閾、あるメカニズムの出現、円環的因果性が変調をきたす時点などだからである。
  • 非連続性はさらにまた歴史家の仕事がたえず具体的で明確な規定を与えることをやめない概念である。非連続性はもはやふたつの実定的な形式を唯一の同じ空白で隔てているような、あの純粋で単調な空虚ではない。非連続性は、それがどの領域およびどのレヴェルに見てとられるかによって、異なった形式と機能とをもつのである。[0103]

こっち↓はわかりやすいが、こっち↑は何言ってるか分からん。

  • この[非連続性という]概念は、かなり逆説的なものでもある。というのも、この概念は、同時に研究の道具でも対象でもあるからであり、それ自体がその分析の結果でもあるような分析の領域を画定するものでもあるのだ。
  • また、この非連続性の概念は諸領域を個別化することを可能にすると同時に、その非連続性自体もそれらの諸領域の比較によってしか確定できない。
  • あるいはまた、諸々の統一=単位を崩すと同時に新たな統一=単位を打ち立てるのであり、諸々のセリーに区切って分けると同時に諸レヴェルを倍加する。[0103]



[0104] では スローガン的にこんなふうに言われているわけだが:

 図式的に言えば、歴史学、そしてより一般的に、歴史的な学問領域は、見せかけの継起的連続のかなたに諸々の結びつきの連鎖を再発見することであることをやめたと言うことが出来る。それらの学問はいまや非連続なものを働かせるということを体系的に実行しているのである。私たちの時代において、それらの学問を印しづけた大きな変化とは、

それらの学問の領域が経済的メカニズムにまで拡大したことにあるのではない。そのようなことならずっと以前から知られていた。あるいはまた、イデオロギー的諸現象や、思考の諸様式や、心性の諸型が、それらの歴史的学問に組み込まれたことでもない。そのようなことであれば十九世紀にはすでに分析が行われていた。大きな変化とはむしろ
非連続性の変換である。

  • 障害の位置から実践の位置へと非連続性が移行したこと、
  • 歴史家の言説において非連続性が内在化し、それが還元すべき外部的な宿命性ではもはやなく、ひとびとによって使用される操作概念となりえたこと、
  • 非連続性の帯びていた負の記号が正の記号へと逆転し、歴史学的な読解の否定項(歴史的読解の裏側、失敗、その能力の限界)ではなく、歴史学の対象を決定しその分析を価値づけるような肯定的要素となったこと、

まさにそのことなのである。時間的諸系列の分析のための非連続性のある種の規則的な使用という、歴史家たちのじっさいの仕事において、歴史学がどのように変化したかを理解しようとすることこそが必要なのだ。

その内実がどういうことなのか、ちゃんと言ってくれないフーコーさん♪


ちなみに「揶揄=自己防衛」はこんな感じね:

 多くの人々が私たちにとって同時代のこうした[アナールによる歴史学の革新から発する]事実に気づかずに来たことは理解できるが、歴史学の知がそのことを証言してもう五十年になろうというのだ。じっさい、歴史が諸々の不断の連続性の結びつきであり、いかなる分析も抽象なしにはほどくことができないような連鎖を歴史はたえずつなぎ続けるものであり、人間たち、人間たちの身振りと人間たちの言葉の周囲に、つねに再構成されかけている得体の知れぬ諸々の総合の糸を紡ぎつづけるものであるとすれば、そのとき歴史とは意識にとって格好の隠れ場所だということになるだろう。(以下略)[0105]

とか

 今世紀の初頭以来、[‥] 主体の擁護を自任する者たちは、いつも、「そうかもしれないが、しかし、歴史は……」と繰り返すことを常としてきた。曰く、

  • 歴史は構造ではなく、生成である。
  • 同時性ではなく、継起である。
  • システムではなく、実践である。
  • 形式ではなく、自らを更新しつづけ、自らの条件のもっとも奥底において自らを把握し直そうとする意識の不断の努力である。
  • 歴史は非連続性ではなく、中断することのない長い忍耐である。

しかしこのような抗議の連祷を唄うためには、歴史家たちの仕事から目を逸らす必要があったのである。歴史家たちの実践と言説において現在起こっていることを見ることを拒否し、歴史学の大変化に目をつぶり、[‥] 要するに、[歴史主義者が謳う「主体のがんばり」の]救済のためには、もはや行われていないような歴史学を再構成する必要があったのだ。(以下略)[0106]

とか。