第11章「予言の自己成就」

ISBN:4622017059 ISBN:B000JALZXM
17頁

  • 第一節 トーマスの定理
  • 第二節 社会学的寓話
  • 第三節 社会的信念と社会的現実
  • 第四節 内集団の美徳と外集団の悪徳
  • 第五節 社会的機能と逆機能
  • 第六節 計画的な制度の変革
トピックメモ
  • 第一節
    • 予言の自己成就に相当する議論を既に行っていた著述家: ボシュエ司教、マンデヴィル、マルクスフロイト、サムナー
  • 第二節
    • ナショナル銀行取り付け騒ぎ(1932)
      「この寓話は、30年代に幾百の銀行を襲った事件を理解させてくれるばかりでなく、また同じ時期に黒人と白人の間に、プロテスタントカトリックユダヤ人の間に起こった事件をも理解させてくれるだろう。」
    • 試験ノイローゼ
    • 二国間戦争
    • ミュルダール『アメリカのジレンマ』
      「自己成就的予言は、ミュルダールが指摘したよりももっと一般的なかかわりを、民族関係に対してもっている。これが以下に述べるごく短い諸説の主題である。」
  • 第三節
    • 黒人によるスト破り

トーマスの公理の応用は、自己成就的予言の悲劇的な循環(往々にして、それは悪循環でもあるが)を、どうすればたち切れるかということをも示唆している。循環運動を呼び起す最初の状況規定を放棄しなければならないのである。最初の想定が疑わしくなり、新しい状況規定が導入せられる時に限って、その後における事態の推移が最初の想定の誤りであったことを証明する。その場合にだけ、信念はもはや真実を生みだす父たり得ないのである。/しかし、これらの深く根ざした状況規定に疑問を呈することは、単純に意志だけではどうにもならないことである。… 社会的知性と善意は、それ自体が特定の社会力の産物である。大衆宣伝や大衆教育は、普通社会学的万能薬として大いに珍重されているが、社会的知性と善意は、そんなもので生み出されはしない。心理学的領域におけると同様に、社会的領域にあっても、虚偽の観念は真実に直面したからといっておとなしく消えさるものではない。

こんなことをいうのは、余り俗受けはしないものである。どんな社会問題に対しても教育を万能薬として推すことが、アメリカのモーレスに深く根ざしたやり方だからである。だからといって、それが幻想であることに変りはない。

最後の段落

 民族集団関の人種的諸関係を調援する計画は、いたるところで失敗し、またそれが普通なのであるが、だからといってそれを悲観論の証左として引合いに出そうというのではない。社会学者の実験室であるこの生きた世界においても、物理学者や化学者の隔離された実験室においても、決定的なのは成功した実験であって、それに先立つ無数の失敗は問題とはならない。多くの失敗より一つの成功からの方が、学ぶところが多いのである。ただ一つの成功が、実験の可能なことを証明する。その後で、この成功をもたらしたものは何かを学びさえすればよい。少くともこれこそ、トーマス・ラブ・ピーコック…の「存在するものはすべて可能なり」という啓示的な言葉の社会学的意味犯とわたくしは思う。