■本節の二つの課題 [201]:
- [A]「諸言表を記述するという最初に提案された任務を、今後どのようなものとして理解すべきなのか」
- [B] 「このような言表の理論は、その理論なしに[本書のII章で]素描された言説形成の分析にどのようにして適合しうるのか」
A[「諸言表を記述するという最初に提案された任務を、今後どのようなものとして理解すべきなのか」について] [201]
1 [201]
定義的規定
- [201]
一つの自然言語(…)から出発して 実際に産出された諸記号の総体のことを、言語運用(言語学的運用)と呼ぶ
- [202]
そうした諸記号のグループを 何らかの材料の上に 特定の形式に従って出現させる個人的な(場合によっては集団的な)行為のことを
言述とは、少なくとも権利上は常に時間的かつ空間的な座標に従って評定することが可能であり、常に独りの作者に関係づけることが可能であり、そして場合によってはそれ自身で一つの種別的行為(イギリスの言語分析派の言う「遂行的」行為)を構成することが可能であるような、一つの出来事のことである。
- [202]
文法もしくは論理学が諸記号の集合の中に認めることのできる単位のことを、文もしくは命題と呼ぶ
そうした単位は、そこに現れる諸要素によって、またそれらの諸要素を結び合わせる構築の諸規則によって、常に特徴づけられる
- [202]
そうした諸記号の集合に固有な存在様態のことを、言表と呼ぶことにしよう
そうした存在様態によって、諸記号の集合は、
←a〜d は III-2 のそれに対応している。
a) 一つの対象領域と関係したり、
b)あらゆる可能な主体に対して一つの特定の位置を規定したり、
c)他の諸々の言語運用の間に位置づけられたり、
d)反復可能な一つの物質性を備えたりすることができるのである
[「言説」という語の多様な使われ方について]
様々に異なる意味で使用し乱用してきた言説という用語について言えば、今や、この用語の多義性の理由を理解することができる。
- この用語は、もっとも一般的かつ最も漠然としたやり方においては、言語運用の一つの集合を指し示していた。そのとき言説という語によって理解されていたのは、諸記号の集合として産出されたもの(…)のことであった。
- しかし、言説という語はまた、言述行為の集合、文ないし命題の連なりとして理解されてもいた。
- 最後に──そして最終的にはこの意味が(それに対する地平として役立つ最初の意味とともに)特権化されたのだった──言説は、それが言表である限りにおける諸記号の連なりによって、つまり、特殊な存在様態を指定することが可能な諸記号の連なりによって構成されている。
[「言説」と「言表」の関係に関するもっとも縮約的な表現/ここ以降の本書の課題]
そして、後で試みるとおり、
- 【課題1】もし私が、そのような諸記号の連なりの法則こそがまさしく、私がここまで言説形成とよんできたものであるということを示すに至るとしたら、また、
- 【課題2】もし私が、その言説形成が確かに、言述や文や命題にかかわるものではなく、言表(…)の分散と配分の原理であるということを示すに至るとしたら、
言説という用語を次のように定着させることができるだろう。すなわち、
- 言説とは、同じ一つの形成システムに属する諸言表の集合のことである、と。
2 [言表は隠されてはいない][205]
- [206] 「言表は、可視的でないと同時に、隠されてもいない」
3[言表は可視的ではない][209]
B [「このような言表の理論は、その理論なしに素描された言説形成の分析にどのようにして適合しうるのか」について][215]
■コア・テーゼ [210]:
- 言説形成を分析する際の4つの方向(対象の形成、主体的位置の形成、概念の形成、戦略的選択の形成)は、
- 言表機能が作動する4つの領域に対応している。
1 [220]
言説と言表の概念的な関係がこのようになっている以上、研究のあり方も、次のようになるしかない(論理的に考えて):
- [1] 言説形成の評定を…行うことによって、言表の種別的レベルが明るみに出される。しかしまた、
- [2] 言表を記述し、言表的レベルが組織化されるやり方を記述することによって、言説形成の個別化へと導かれる。
言表の分析と言説形成の分析とは、相関的に打ち立てられるものなのだ。