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… 真理論は、進化論の文脈のなかで読みなおせば、そのつどただ一つの進化メカニズムを それだけが問題であるかのように 表現しているに過ぎない。
- 真理は最終的に知覚の報告(プロトコル命題)の解釈に還元できるという「論理実証主義」の考え方は、変異メカニズムを強調しているが、同時に それだけが真理にとって重要だとみなすことで、変異の機能に固有の性格を取り除いている。
- 合意説は、正当にも 個々の意識の自己確証の可能性を反駁しているが、それを他の形体の選択制におきかえているに過ぎない。合意説は選択メカニズムを強調し、真理を理性的合意のなかで現れてくる選択の合理性の産物だと見ている。
- 整合説は正当にも、公理論的で演繹的な形態だけが真理をもたらすと考える科学論を反駁している。演繹から冗長性への転換というのが、そのうたい文句である。だが整合説は、それによって一つの安定化の形態を 他の形態と交換しているだけであり、認識獲得の一つの安定化をもたらすもの、すなわちあまり意外性のない冗長性の保証だけを最終的に重要だとみなしている。
これらの説はすべて、特定の論争課題を見て、それを引き受けた。その点で自らの正当性を保っているのであり、そのためには真理とは何かを単独で規定するという野望さえ捨てればよい。そうなると、あの悪名高い「実証主義論争」のときのように、たがいに対立して争うのもやめてしまうことができる。これまでの[本書の]論述のなかで素描された知識進化の理論は、こうした諸説をそれぞれ位置づけることができる。知識進化の理論は、分離され組み合わせられてはじめて作用できる進化の個々の側面を絶対視するようなような、科学システムの反省論が問題になっていることをしめしているが、反対に進化論によってはじめて、いかにしてそのような(必然的に単純化する)システムの反省がシステムの中で起こるのか、ほんとうに理解できるようになる。