- H.ガース&C.ミルズ[1953]『性格と社会構造』現代社会学大系15 、古城・杉森訳、1970
3000円でゲト。
言及は『阻ます&ルーマン論争』最終論文四(27)
- 作者: J.ハーバーマス,N.ルーマン,佐藤嘉一
- 出版社/メーカー: 木鐸社
- 発売日: 1984/08/01
- メディア: 単行本
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[ハバーマスの理論における]「解放」問題の、この中心的地位は、システム論ではもちろん追構成できない。[が、] 近代の人格的個人主義と地位ハンディキャップの解体 という進化の諸条件は、[ハバーマス理論との]基本的コンタクトにとって大変具合がよい。[というのも、] これらの現象は、増大する社会的分化の余波として、しばしば十分に分析されている27ので、これ以上の論述は不要である[からだ]。 心的に実行可能であるよりも、社会にとってはるかに多くの余地が人格に用意される。私たちは現にそうである以上に、個人的でありうる28。同時に、これに対応してインパーソナルな行為の領域が増大することは、一個人の障害であるよりもむしろまさに、個人の一条件である。 [‥‥] もっと気軽に誇張して、むしろ次のように言ってよいかもしれない。「解放」の場合、しばしばそうであるように、問題はその解決のあとに初めて提出される、と。人々が「解放」から期待した理性は姿をあらわさないということが、もっぱら問題として残るのである。それによってしかし、抑圧的支配の存続が証明されたのではなく、大掛かりなひとつの社会実験によって、理性の獲得を解放から期待した その理論が論駁されたのである。その場合、姿をあらわさない支配をおい払い続けることはできるけれども、それではただ理性が姿をあらわさないもののためのイデオロギーを生み出すにすぎない。[訳:455-6頁]
この文脈でライトミルズを引用するのはめちゃめちゃな皮肉ですな。嫌がらせでしょうか。性格悪いなぁ。
ところで最後の一文は意味不明。誰か原文を教えてくれないか。