紛争というやりとりの秩序

福井康太さんの曰く:


しばしば看過されがちだけれども、紛争もまた一つの 「やり取り」であり
〔略〕
私は、それをあえてポレミカルに「秩序」という言葉で表現し、「望ましい整序原理=秩序」「望ましくない整序原理=反秩序」というような区別は、価値中立をものとする社会科学の観点からはとることができないという立場をとることにしました
紛争というやり取りの秩序を、
「紛争という秩序」という言葉遣いって、法(社会)学業界方面では「ポレミカル」なんですか??
だとしたらちょっとびっくり*1
<望ましい/望ましくない> というやり方で区別立てするのがまずいのは、
それが価値中立的でないから-とかという理由によるわけではぜんぜんなくて/ということよりも前に-
単に、この区別では、その やりとり-の/という-秩序 を適切に記述できないから、じゃないでしょうか。

ちなみに、福井さんの【「秩序」としての紛争:CDAMS基礎研究分野第5回研究会の記録】はこちら↓
http://www.cdams.kobe-u.ac.jp/archive/20040126.htm

*1:このテーゼって──ルーマンを引き合いに出すようなもの、というよりは/それ以前に──、偉大なるアメリ社会学の父・我らが親愛なるタルコット・パソーンズ師だって認める類のもののように思えますが。