会話分析におけるコンティンジェントにしてアプリオリな構造

  • Jeff Coulter, "Contingent and A Priori Structures in Sequential Analysis", HUMAN STUDIES, Vol. 6, No. 4, 361-376, October 1983.

6周回目。
神がクワインを遣わす以前の──カントのことは忘れておくとして──「アプリオリ〜分析的〜必然的」/「アポステリオリ〜総合的〜偶然的」というゆるい語法、

tab.01: ゆるい区分
必然的 ア-プリオリ
偶然的 ア-ポステリオリ

ここに、「経験主義のドグマ」以降──というわけでもないが──、隙間↓ができる。

tab.02
ア-プリオリ ア-ポステリオリ
必然的 (ゆるくオッケー) アポステリオリにして
必然的▼
偶然的 アプリオリにして
偶然的◎
(ゆるくオッケー)

そしてクルターの論文タイトルが狙っているのは、◎のセルだ、ということなのだった。4つのセルを適切に区別するには、3つの区別(=3つの観点)があればよい。話はある意味それだけなのだが、問題は、それが何であるのかが、3つともによくわからないこと[=Aの区別もBの区別もわからない、というだけでなく、Aの区別とBの区別をどう区別するのか、というのもわからない、ということ]。
クルターがクリプキにくそ真面目に依拠しているなら、Aは「認識論的」区別、Bは「形而上学的区別」になるはず(?)だが、──なるほど前者については 上記引用がその方向で読むように示唆しているけれど──、後者は「直感的に言ってあり得ない感じ」がする。 しかしどちらにしても──Aのみに限っても──、そもそものクリプキの議論が判明ではない(と私は思う)ので、たいそう困るわけである。
さて。必要な作業は?

  1. 指示の「記述説 v.s 因果説」対決の顛末を確認。(様相の扱いはどうなったんだ?)
  2. クルターの語用を確認。 (これは、クリプキの議論と独立に扱えるものなのか?)

──ってことになるのだろうか。