>hidexさんへ(id:hidex7777:20040214#p1)
丁寧に敷衍していただいたおかげで、主張は概ね理解できたと思います。以下お返事ですが、論点は二つ。
訳語の選択についてと、「confidence」概念(あるいは<trust/confidence>区別)の解釈について、です。もちろんこれは絡み合った話ですが、まずは「訳語選択」のほうを論じ、別建てで「解釈」のほうに踏み込む、ということにさせていただきましょう。
- 作者: ニクラス・ルーマン,大庭健,正村俊之
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1990/12/10
- メディア: 単行本
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お返事 その1
・私の主張は、ミニマムには次のようにまとめられます:
- [S1]:confidence概念[=<trust/confidence>区別]は、信念の度合い・強さを問題にしているわけではない。
- [S1-1]:それはシステムリファレンスの差異に照準しているのである
- [S2]:したがって、confidenceに「確信」という訳語をあてるのはまずい。
・hidexさんの主張を、私は次のように理解しました。
- [H1]:hidexさんと酒井とで、「confidence」概念の理解が違う。
- [H1-1]:<trust/confidence>は、<内部帰属/外部帰属>差異に関わる。
- [H1-1-1]:システムリファレンスの差異に関わるのではない)。
- [H1-2]:著作『信頼』と論文FTCは連続していない。
- [H1-2-1]:<trust/confidence>差異は、<人格信頼/システム信頼>差異とは異なる。
- [H2]:したがって、“confidenceの訳語に「確信」をあてるのはおかしい”という酒井の指摘はシカトし、
- [H3]:慣例に従って──「そう訳すべき」とまでは思わないが──「確信」を採用する。
で、これを踏まえた私の側でのミニマムな回答は、「その主張では[S1]→[S2]という推論は覆らない=効かない」です。以下敷衍。
さて、上記の指摘のうち、どうやら[H1]は言えるようです。が、それは──[H1-1]ではなく──[H1-2]についての見解の相違がありそうだからです。ところが[H1-2]は、[S1]→[S2]に効きません──これはトリヴィアルなので論証は省きます──ので、ここでは[H1-1]を取り上げれば充分です。
「帰属」概念は、そこに「帰属の宛先」まで含めれば、「システムリファレンス」概念になるわけなので、「帰属の違い」を「システムリファレンスの違い」と言い換えるのは、その限りにおいて問題ない、と私は考えます。ただ、「どこが宛先なのか」とか「そもそも宛先が不明なんですが」とかいったことこそを論じたい場合には、この「言い換え」は、確かにまずいことになります。したがって、もしも hidexさんが、その点まで含めて、その「言い換え」は 過剰だ、とかやりすぎだ、とかと言っているのだとすれば、私はその点を認めて、「システムリファレンスの違い」という表現を取り下げてもいい、とまでは思えるのです(ところでいまこの論脈では、そのことが問題になるのでしょうか?)。
ところが、この表現を取り下げても、それはやはり[S1]→[S2]という推論には効きません。[S1-1]を──hidexさんの指定にしたがって──取り替えても、次の論証は成り立つだろうと思えるからです。すなわち:
- [S1]:confidence概念[<trust/confidence>区別]は、信念の度合い・強さを問題にしているわけではない。
- [H1-1]:それは帰属の差異に照準しているのである。
- [S2]:したがって、confidenceに「確信」という訳語をあてるのはまずい。
なので、[H1]〜[H1-2]は、それらをすべて認めても──[S1]→[S2]の「真理値」(w が覆らない以上──[H2][H3]を正当化することはできないのでした。
以上で「訳語選択」の話はおしまい。
次に、論点その2、つまり「解釈」の話を。
お返事:その2のその0
さて、つづいて「解釈」問題について。
- [H1]:hidexさんと酒井とで、「confidence」概念の理解が違う。
- [H1-1]:<trust/confidence>は、<内部帰属/外部帰属>差異に関わる。
- [H1-2]:著作『信頼』と論文FTCは連続していない。
=<trust/confidence>差異は、<人格信頼/システム信頼>差異とは異なる。
一方で。「その1」で書いたように、[H1-1]については、見解の相違はありません。すなわち、ルーマンがあの論文で、次のようにまとめられる主張をしていること、について異論はありません。
trust | confidence | |
認識の違い | リスク | 危険 |
帰属の違い | 内部帰属 | 外部帰属 |
他方で。[H1-2]については、確かに「見解の相違」があるようです。
そして──そもそも──id:contractio:20040213#p8 に書いたように、フォーラムでの私(と角田幹夫さん)との議論は「この論文わけわからん」というところで止まってしまったのですが、そこでなにを「わけわからん」といっていたのか、について、ひょっとすると誤解があるのかもしれません。あそこで私(たち)が謎あつかいにしていたのは、2つの点についてだったのでした。
- [Q1]:『信頼』と「FCT」は、はたして首尾一貫して解釈できるのか?
- [Q2]:「FCT」は、はたして首尾一貫して解釈できるのか?
なるほど、 仮に、hidexさんのきわめて大胆な仮説、
『信頼』の概念図式は「FCT」[‥]において[‥]変化した
-説 [→]
「FCT」はむしろリスク論の文脈で書かれている、というか、「あーそーいえば俺、昔『信頼』ナントカって本書いたっけなあ、あれをリスク論に吸収しちゃえ
が正しければ、確かに、[Q1]は「解決=除去」できます。
しかし[Q2]は手つかずです。
その点についてはっきりさせるべく、以下、[Q1][Q2]それぞれについて、論点を再定式化してみましょう。──といいたいところですが、これから出かけちゃうので、それはまた今度、ということで(w。 ま、ぼちぼちいきましょう。