id:hidex7777さんへのお返事、続きです。
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- 作者: ニクラス・ルーマン,大庭健,正村俊之
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1990/12/10
- メディア: 単行本
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hidexさんの主張:
- [H1-2]:著作『信頼』と論文FTCは連続していない。
=<trust/confidence>差異は、<人格信頼/システム信頼>差異とは異なる。
について
- [Q1]:『信頼』と「FCT」は、はたして首尾一貫した解釈ができるのか?
- [Q2]:「FCT」は、はたして首尾一貫した解釈ができるのか?
という二つの側面から考えてみること、のうちの[Q2]のほうについて。
ルーマン・フォーラムで私が述べたことは、あくまで「この論文わけわからん」ということにとどまっていたわけなので、私がここで示すべきなことは、「<trust/confidence>と<人格信頼/システム信頼>は、まったく同じものだ」という命題ではありません。(「同じだ!」と主張できたなら、少なくとも本人は「わけがわかっている」(つもりだった)はずなわけでして)。 私がhidexさん──の Deus ex machina的解釈──に対置して示せば良いのは、「私がなにをワケワカランと言っていたのか」ということまでです。
で、「この論文わけわからん」という疑問が生じるのは、
- (1)<trust/confidence>ペアは、<パーソナル/システム>ペアと関係づけられていることははっきりしているのに
- (2)どう関係しているのか分からない
からなのですが、「Deus ex machina解釈」では そもそも(2)は考えなくてよいわけですから*1、争点は(1)にしぼられ、これをひっくり返せば話はおしまいです。そして、これは簡単に示せます。どのように?
このように↓です:
段落 | trust | confidence |
---|---|---|
II-05 | In committing sins you risk the salvation of your soul, which thereby becomes a matter not of church practice but of individual lifestyle and effort. | (church practice [?] ) |
II-07 | Insisting on freedom of choice, liberalism focuses on the individual responsibility for deciding between trust and distrust with respect to politicians, parties, goods, firms, employees, credit, etc. | |
III-05 | かなりの程度、これ[=馴れ親しみ・trust・confidenceのどれが相対的に強調されるか]は定義の問題であり、とくにtrustとconfidenceに関しては、その関係を──[たとえば]医者に診せるという決定を── | |
医療システムへの不可避のconfidenceか | ||
リスキーな選択の問題か | ||
のどちらとでもみなすことを、人は選択できる。 | ||
IV-03 | trustは、個人間関係においてまだ生きてはいるが、 | |
経済や政治のような機能システムへの参加はもはや個人的関係の問題ではない。それはtrustではなく、confidenceを要請するのだ。 | ||
IV-04 | システムにおけるconfidenceについて決定する必要も、機会さえも存在しない。 | |
IV-05 | 大きな機能的諸システムはconfidenceにだけでなくtrustにも依存する。 | |
IV-06 | システム──経済、法、あるいは政治──はtrustを、入力条件として必要とする。 | |
IV-08 | 貨幣の安定性へのconfidence[‥]──すなわち、システムへのconfidence。 | |
法システムへのconfidence | ||
ミクロ・レベルでのtrust | マクロ・レベルでのconfidence |
というわけで、
特にIV以降、<trust/confidence>区別は、上のように──[IV-05]に出てくるようなのを除くと──<パーソナル/システム>区別に関係づけらけて登場しているのです。
以上のことをもっても、【<trust/confidence>=<パーソナルな信頼/システム信頼>】と主張しないでいることまでは、がんばればできるかもしれません。が、ともかくもこのように、<trust/confidence>区別が<パーソナル/システム>区別と非対称的に関係づけられていることまでは確かなので──仮にこの論文だけを取り出し・Deus ex Machina説を採ったとしても──、【<内部帰属/外部帰属>区別-と-<パーソナル/システム>区別はどう関係するのか】という問いが浮上してくることは避けられないのです(→これが[Q2])。
そして、それが直接的に重なるようにはみえないからこそ、この論文は「わけわからん」──もうワンステップ「解釈」が必要だ──というのが、酒井の見解だった、というわけなのでした。
いちおうこれで「示すべきこと」は示せたかと思います。ので、いったん「お返事シリーズ」はここで閉じます。
明日以降、今回改めて読んでみて気づいたこと、当時よりも理解が(すこしだけ)進んだと思われること、 とかについて、いくつかメモしておきたいと思います。
*1:ただし、以下で示すように、結局はやはり「<内部帰属/外部帰属>区別と<パーソナル/システム>区別は どう関係するのか」という仕方で(2)は残るのですが。