Familiarity, Confidence, Trust再訪

ルーマンの論文「FCT」〔PDF:hidex訳〕を読み返しつつ、つらつらとまとまらぬことをアトランダムにメモっていくスレ。この論文のどこがどう「わからないか」というのを、よりはっきりとさせてみよう、というのが趣旨です。

が、ぜんぜん書く暇がありません。しかもまだ『信頼』がみつからない(泣。
hidexさんには、追加コメントもいただいてますので、それにも応答できればと思いますが(id:hidex7777:20040212#p1/id:hidex7777:20040214#p1/id:hidex7777:20040216#p3)。
ともかくも暇がないので、せめて・とりあえず・まずはトピック列挙だけでもしときます(慧眼なルーマニ屋の皆さんには、列挙だけで酒井の疑問は大方伝わるかも、とか。断片的にでも書いておけば、いつか埋まるかも、とか思いつつ。)

  1. 「システムにおけるconfidence」/「システムへのconfidence」という表現が併置されているのは激謎。
  2. 信頼のコンテクストで問われる【帰属】は、何のどこへの如何なる誰(or なに)による帰属なのか
  • 「リスクに備える・リスクを取る」こと と、「危険を被る・危険に脅かされる・危険を無視する」こと とでは、「帰属のありよう(=宛先)が違う」と語れるのは、どのような意味でなのか
    • <リスク/危険>・<trust/confidence>と、<行為/体験>との対比からいうと?
      • 出来事なのか? 出来事の(再)記述なのか? 決定なのか? 予期なのか?
  1. <リスク/危険>〜<trust/confidence>による社会学的記述の身分は?
    • 「類型が問題になっているのではない」(Luhmann)なら何を問題にしているのか。


[tab.03] 構図1(仮:信頼とは「何かに対する信頼」である
〜に対して 〜のことについて
〜という点に関して
〜という限りで
〜というわけで
〜のゆえに
〜のおかげで
〜のせいで

〔信頼〕
する

 

[tab.04] 構図2(仮:信頼とは「手持ちの情報の過剰利用」である
未確認/確認不能情報 手持ちの情報 (過剰利用)
KがLである ことを MがNである ことにもとづいて 信頼する