実はわたくし、社会学者みたいなものなんです…

世の中にはほんとにいろんな人がいるなぁ。社会ってフクザツー。
id:morutanさんのブログ、5月27日分エントリのコメント欄にて、あさ(@逃避日記)さんの曰く:

ルーマンなので、ちょっとだけ出てきてみました(伏せてますが、実は社会学者みたいなものなんです…)。
まず主体性の話なんですが、ルーマン本体のなかには主体性がむちゃくちゃ入ってる気がします(ルーマンは「創発性」と呼んでますけど、そんな気取りは無視です)。
ある意味では、ルーマンは最初から最後まで主体性の人だといっても良いくらいでして。
ていうのは、まあ社会学の発展史と関係があるんですが、70年代くらいまであった「システム対個人」の対立を、一応統合したのがルーマンだということになってるんです(ただ、このあたりは危険地帯なので理論屋さんたちは一っ言も言いませんけど)。
それから、あともう1点、こっちの話なんですが、

官僚的システムってのはタテマエ的なルールであって、世の中の大部分(ってか見えない部分の重要なところ)ってのはコネクションとかそういうもので決まってる場合が多い
・・特に日本の場合は
(ex.地方選挙における談合・集会の実質的力, 会社内部の意思決定のフロー, ボトルネック独占...)

これは、多分入ってます(少なくとも、最初の頃は入ってましたし、最後の方の話に入れても、論理展開には全く困りません)。20世紀初頭のドイツ社会学ならオモテの話ばっかりしたと思いますが、アメリ社会学の台頭以来、そういうことはなくなりました(コネクションの話だと、ブラウの交換理論なんかがおもしろいですね。これも、ルーマンの行為論に繋がっていく話だと思います)。
それと、システム論の話なんですが、社会学のそれはあまり真剣に考えない方がいいんじゃないかと僕は思っています。
社会学者って、面白そうな話は何でも使っちゃう人種ですから。
「たとえ話のひとつ」というあたりの理解が、一番穏当なのではないでしょうか。ルーマンだって、システムの専門家じゃないです。社会学者にとっての勝負は、人間にまつわる現象をいかに説明するかというところですから(そして、他の説明と読者獲得を競うわけです。「読者がいる」というのが、社会学にとての最上の存在理由なのではないかと、僕は思います)。
まあ、本当は、たとえ話なんかない方がいいんですけどね。誤解のもとですし。
あと、ルーマンに関しては、「ルーマン社会システム理論」あたりかおすすめかと。ドイツ人が書いた解説書で、比較的まともです。
日本人が書いた西洋の学者の解説書って、本当の所あんまり良くないと思うんですよ。社会学っていうのは、大体のところ「社会現象論+哲学(+もろもろ)」だと思うのですが、日本人が解説すると、後のほうに偏る傾向がある気がするんです。異議を過度に強調しますし(いや、それはそうしたほうが学会で生きていきやすいからなんですけどね・と社会学的解説をしてみる)。
えーと、そんなかんじでしょうか。とりあえず、今後ともよろしくお願いします。

  • あさ (2004-05-28 20:46:01)

どこで「伏せて」いるのやら。
ていうか。ルーマンって「主体性の人」だったんだ。しかも「最初から最後まで」! へー!
で、「むちゃくちゃ入ってる」らしい、その「主体性」って、いったいどういうもんのことですか?