ニクラス・ルーマン 『パッシオンとしての恋愛:親密性のコード化』 読書会@新宿。
前日南大沢某ゼミで4章を担当したN西さんからレジュメの提供を受け、急遽、「参加者の60%が2日続けて4章を読んでみるよ」という 激しく酔狂な 内容の濃い 企画に。
第1段落〜10段落までを読了。
メモ1:
恋愛のゼマンティクには3つのエポックがある[4&5]:
- 〜17c:「理想」
- 17c〜:「パラドクス」
- 19c〜:「自律性(反省性):自己言及性」
これを4つの観点から考える[5]:
- コードの形式
- 愛の正当化
- the problem to which the change reacts by attempting to incorporate it
- (コードのアサイン先=)人間学的観点[:→性=共生のメカニズム??]
- 3はなに??
メモ2:
- 第2段落[p.42] にでてくる、「the context of the final function」の意味がまったくわからず。なんだこれは。【追記】 本日のコメント欄を参照のこと。
- 第8段落[p.44] の最後2文。
ルーマンにしてはめずらしく循環論法じゃないようにみえる。が、よく考えてみるとやはり循環論法かなぁ。つかこの箇所よくわからん。再考。 - google:fin amor:「雅の愛」
- http://www.aj3.yamanashi.ac.jp/ehs/morita/Composition/articles/tende1_95.html
- http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ykawa/2nen2002/groupeD_jp.htm
- http://www.kenkyusha.co.jp/guide/mag/sei-bk80.html読書会参加者のどなたかへ:この↑記事↓、コピーしていただけませぬかな。
- 沓掛良彦、「トルゥバドゥールと fin' amor」 in 『英語青年』1983年3月号(特集:ヨーロッパと中世イギリス文学)