デュルフェ『アストレ』

邦訳がない。

プレッシュー

  • 17世紀の前半にはいわゆる「プレッシュー」precieux な傾向が流行った。ランブイエ公爵夫人のサロンを中心に生まれた文化。ローマ大使の娘でローマ育ち、イタリア風な流行というものを持ち込んできて、ラテン語も良くできる、ギリシャ語もできるという才女のランブイエ夫人が主宰するサロンの「お上品ぶり」、よい趣味を広めようとする傾向。物を生の名称で言ってはいけない。「椅子を持っておいで」といってはいけない。「会話の便宜を持っておいで」という。「鏡」も「美の相談相手」という。

プレッシューの時代背景と『アストレ』

  • ルネッサンス時代の宗教戦争カトリック派とプロテスタント派の何度にも渡る恐ろしい殺し合いを収めて、フランスの統一を実現したアンリ4世が、1610年に狂信的なカトリックに暗殺される。そして、若いルイ13世の治世に入る。フランスの国土の統一はなされたが、みんな剣を抱いて、ごろごろ寝っころがって野営したといった経験を持った人たちが多かった。一般の市民も虐殺とか襲撃事件とかそういうのに慣れていた時代。男たちは非常に乱暴だった。その中で・・・
  • オノレ・デュルフェHonore d'Urfe作『アストレ』Astree は夫人のサロンや知識ある女性に大変受けた。サロンでは、アストレのように語ることが理想だった。アストレという女羊飼いとセラドンという男羊飼いの恋の物語なのだが、この羊飼いたちのしゃべり方はまったく最高級の宮廷人なのである。これは延々と続いていく物語で、いわゆるロマンであるが、散文で書かれている。散文のロマンというものが現れた初め。もともとは中世にロマンといっているものは詩の形をしている。詩の形をしているというのは、覚えやすいため。詩は同じ韻が現れるので、覚えやすい。すでに見たように、中世でロマンというのは、ロマン語で書かれたという意味。ロマンというのは、ゲルマン語とラテン語が混ざっていく過程の、フランス語という意識がなかった時代に、そのラテン語と、ゲルマン語とか、土着のゴール人の言葉の混じり合ったもの、別な風に言えば、今日フランスと言われている地域で、ラテン語が崩れていくその崩れたラテン語のことをロマンといった。そのロマン語で書かれた長い物語詩のことを、中世ではロマンといった。ラテン語で書かれていないという意味で。17世紀になるとこれは散文となって、どこまでもエピソードが続いていくイマジネーションの世界ということになる。

ビュルレスク

  • プレッシューとは逆に、身分の高い人が、下層民の言葉を使う場合。例えばスペインの国王がお芝居の中で、「今何時?Quelle heure est-il?」と聞く。家来が「やがて真夜中となりましょうIl est bientot minuit」と答える。こういうのは下品!ということになる。「時は今どちらを逍遙しているのか?」「時はやがてその最後の憩いの場にたどり着くでございましょう」と言わなければならない、というわけである。