涜書:大庭健『所有という神話』

夕食。

所有という神話―市場経済の倫理学

所有という神話―市場経済の倫理学

ISBN:4000233963
読みおわんねー。
スピードがあがらない。諦めて もいちど

第2部 所有について

  • 第3章 所有という問い:私のものは私の勝手?
  • 第4章 所有というナウい神話:間柄の私有化の思想史

第3部 平等について

  • 第5章 人はみな平等である、とはどういうことか

から読み直す。



ここ最高再考

[p.145-147]
 したがって、近代的には「物件の排他的用益」と映る事態も、前近代的には、そのものの「魂との排他的な関わりを、他者=他の魂たちが承認する」ということを意味する。そうだとすれば、「排他的=私的」な所有は、前近代にあっては、極めて問題をはらんでいたはずである。[‥]
 土地、樹木あるいは河川であれ、生きとし活けるものは、ひとたび寸断されて任意に取引しうる物件とされたなら、結局は、すべてが死ぬ。こうした生態系の継ぎ目なき複雑さへの、前近代的な直観は、そもそも近代的な「私的所有」の概念と根本的に異質であった。[‥]
 近代的な私的所有に最も似ているように見えるのは、相手とも周囲のひとびととも豊かなコミュニケーションが可能で、そうした全当事者の合意にもとづいて、排他的な関わりが生じる場合であろう。そして前近代では、その典型が、「産む性」である女性との排他的な関わりであったように思われる。しかし、注意していただきたい。なにも“原始の婚姻は対等な両性の合意にもとづいていた”などといった寝ぼけた話をしているのではない。さまざまな活物の魂どうしの呼応において「もの=生命体の生産による、自分たちの生命の再生産」が展開していくとき、コミュニケーションをつうじて互いに関わりを微細に限定しあい確認しあえるのは、「言霊」をつうじた呼応においてである。そして「産む性」としての女性との排他的な関わりは、こうした活物の魂どうしの関わりのなかで、最も確実に限定しあえる関わりとして、定着した。こうも考えられる、と言っているにすぎない(10)

(10) [‥] レヴィ=ストロースが、前近代の親族構造の核を「女性の所有・交換」に見たとき、彼は、かなり大事なことに気づいていたように見える。しかし、そのときの感じを、無媒介に、近代的な「所有」概念でくくってしまったのは、彼が嫌っていたはずの「解釈による同化」という知的権力の行使であった。しかし、だからと言って「レヴィ=ストロースは、女性を所有物扱いしているから怪しからん」式のヒステリックな反発だけでは埒はあかない。
 それはさておき、存在するものが、すべてもの思う活物だとしたら、当のものの魂をもふくめ、魂どうしのなんらかの合意なしには、ものとの「排他的」関わりは成立しない。そうだとすれば、そのものと「排他的」に関わることを、自分一人の得失の判断をもとに他人に「譲る」ことは、譲った側にたいしても譲渡された側にも、負い目を課す。要するに、近代人の目には物財の「流通」と映る事態も、前近代人にとっては、ものの魂との専一的関わりの交代可能性という、魂に関わるノッピキならない事態であった。ものの魂と専一的に関わりあうこと、その関わりを譲り/譲られたことへの、それぞれの負い目が、さらなる譲渡=負い目のサイクルを駆動していく。こうしたサイクルを描くときに、経済人類学者の多くが、ことさらに「交換媒介物」の「呪物性」だけを強調するのは(近代的な貨幣の物神性のルーツ探しとしては当然なのかもしれないが)、物活論的世界像のもとで生きていたひとびとの日常意識とは異質であろう。もちろん、こうした負い目のうちには、そのものを制作した個人の魂との関わりが関与していた場合もあろう。しかし、そうした側面だけを強調することは、事態をむしろ近代的な「自己所有」の枠組みに押し込んで切り刻むことにもなりかねない(11)
(11)「あるモノの取り込みは、生死にかかわるほど危険である。というのも、……たんに道徳的にだけでなく、身体的・精神的にも、ある人格から生じたこのモノ、この精髄は、あなたに呪術的・宗教的な力を及ぼすからである」というモースの所見も、すでに、この傾きを示しているかもしれない。しかし、アタリがこの所見を「それを作り出した人の生命をふくんでいるのだから」と敷衍するときには、「作り出す」個人にのみ焦点を固定する近代的な枠組みが、自己所有論と同じ土俵での「労働の凝固」論だとまでは言わないが、大きくその影を落としている。
 むしろ[‥]より根本的なのは、地の霊であれ、木の魂あるいは水の精であれ、もともと誰の制作物でもなくむしろ代々すべてのものを生かしてきたものの働きを、排他的に占有し用益しようとすることへの、当のものの魂自身の怒りであろう。誰の制作物でもない、より基本的なものの魂たちとの関わりが、ものを制作した個人の魂に先立って、また用益できない他人の妬みだの何だのに先立って、ひとびとを根源的に駆動していたのである。

「ヒステリック」とか言うしw。