朝食。俺が凄い勢いでフーコーを再読するスレ。
ミシェル・フーコー思考集成〈4〉規範・社会―1971‐1973
- 作者: ミシェル・フーコー,小林康夫,石田英敬,松浦寿輝,Michel Foucault,蓮實重彦,渡辺守章
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1999/11/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 2回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
ほとんど「ごく普通の-いわゆる-知識社会学の人」になっちゃってたフーコー先生の1971年。
「フーコー、後ろ後ろ〜、」というか、「あらーこの人、このまま逝っちゃう*のかしら、ひょっとしてこれがいわゆる google:変貌するフーコー ってやつですか?」──と人ごとながら心配してしまいましたが、72年の症状は(そんなには)重くありません。
* 逝くにはまだ10余年の猶予がある。
- 102 私の身体、この紙、この炉 (1972)
- 103 歴史への回帰 (1972)
- 104 デリダへの回答 (1972)
- 105 大がかりな収監 (1972)
- 106 知識人と権力 (1972)
- 107 円卓会議 (1972)
- 108 人民裁判について──マオイスト(毛沢東主義者)たちとの討論 (1972)
- 109 文化に関する諸問題──フーコーとプレティの討議 (1972)
- 110 我々の社会に於ける医学の主要機能──ジャン・カルパンティエ博士の記者会見の席にて (1972)
- 111 自分の文化を罠にかける──ガストン・バシュラールについて (1972)
- 112 真理-司法 集会。千五百人のグルノーブル人が弾劾する──ディスコ火災に寄せて(1972)
- 113 流血あるいは火災──ディスコ火災に寄せて (1972)
- 114 ポンピドゥーの二人の死者──監獄と死について (1972)
- 115 刑罰の理論と制度──コレージュ・ド・フランス1971-1972年度講義要旨 (1972)
日本での講演〈103「歴史への回帰」〉では──『考古学』『ディスクールの秩序』でも登場した──「非連続性」「系」「出来事」などの術語が、歴史学の研究実践に関係づけられて それなりに明解に敷衍されている(例えば p.211〜)。
というかこの↓部分、こっち↑と取り替えてはどうか。
分量は短いものの、『考古学』の無駄に長くてさっぱり要領を得ない議論にくらべれば、こちらを読んだ方が遥かに得るものは多い。(少なくとも、上記の術語で具体的にはどんなことが考えられているのか、ってとこまではわかる。)
そもそもこんな風に語れるなら著作でもそうすればいいのに、まさに「そうはしない」フーコー先生。〈『考古学』や『秩序』のフーコー〉のほうが 例外的フーコー なのではないか、という気はしなくもないが、そのことから逆にまた、フーコー先生が、理論というものについて、そして理論的な著作を書くということについて、古く狭く頑な考えを──そしてまた、執筆するということについてウルトラに過剰な自意識を──お持ちであった事も推察される。そういうのを見せつけられるのは、オーディエンスとしては切ないことはであるよな、と い っ た こ と は と も か く と し て、
これはあとで──「【留保無き】なぞなぞスレ【蕩(´・ω・`)尽】」のほうで──とりあげることにしましょう。
【本日の小ネタ】
- 105 大がかりな収監 (1972:N.マイエンベルクとの対談。「ターゲス・アンツァイガー・マガツィーン」12号)
インタビュー冒頭からいきなり逆切れするフーコー先生:
──あなたの構造主義的哲学の仕事と、GIP〔監獄情報グループ〕への参加とのあいだには、なんらかの関係があるのですか?
吠える先生:
──それでは、あなたが構造主義者であるという、広く行き渡ってしまった確信はどこに由来するのでしょう?
- 愚鈍、あるいはおめでたい精神のなせるわざではないでしょうか。
さらに理不尽な足払いをくらわせ....:
──あなたに構造主義哲学者なるレッテルを貼ったのは、ピアジェなのですか?
- 断じてそうは思えない。そんな芸当のできる人間ではありませんよ、あの人は。何であれ自分で考え出したためしのない人です。
ついには見事な決めつけオヤヂ攻撃をかます先生:
──それでは、GIPへの参加と、単にあなたの哲学の仕事とのあいだの関係、と言い直しましょう。あるいは歴史家と呼ばれる方を好まれますか?
- どうぞ、あなたのお好きなように! わたしの方では、そのどちらとも言っていない。ただ、構造主義についてわたしが言ったことを、そのとおりに、はっきりと伝えていただきたいものです。わたしが構造主義者ではないということ、そうであったことなど、いまだかつて一度もないということ、そのようなことを公言してはばからないのは愚か者やおめでたい人々──その名がたまたまピアジェであろうとなかろうと──だけであるということ。愚か者、おめでたい人々、無学な連中。普通、この〔構造主義者という〕レッテルは、みずからのアクチュアリティーをとうに失ってしまった人々が使うものなのです。彼らは、そうすることで他の人々を判断しようとする。ともかく、こんなことを話し合っていても無駄です。もっと真面目な話をしませんか。
──望むところです。
意に添わないというだけで無駄・不真面目扱いです。すごいすごい。
「普通」とか逝ってるしw。
愚か者、おめでたい人々、無学な連中の方々は近寄らないよう気をつけてください。危険です。