涜書:山根『〈根源的獲得〉の哲学』

朝食。

まで。
ここまでのところは素人でもフォローできる分かりやすさ。ありがたい。


ものすごい重箱の隅なハナシかと予想してたのだが、ここまで読んでみた限りでは、けっこうストライクゾーン(の隅:内角低め?)なのかも、と思った。
〈ア・プリオアリ〉概念が批判書たちのキー概念であること

そしてまた、それが「生得的」と同義ではありえないこと、
というのも、もしもそれが「生得的」を意味するのなら、それに関する研究は──哲学者の仕事ではなく──たとえばエソロジストにでもまかせておけばよい、というハナシになるだろうから、ということ
ならばまたそのことは、「〈ア・プリオリ〉とはどういうことか」という問いは、「(ある種の)哲学の仕事にはどんな意味・意義があるのか」という問いと直結していることをも意味しているはずだ、ということ、などなど

までは、素人にでもわかること。だけど、で結局それどういう意味なの?というのは第一批判を何度読んでも(私には)わからなかった*ので、今後の展開に期待したいところ。

* わからない理由の一つは、この語が(第一批判に)あまりにもたくさん出てくるからw、ではないかと思うのがどうか。



ところで散見される廣松語がうざい。なんじゃこりゃ(どこのおやぢよ?)とおもって奥付みたら、まだ若いひとなのだった(1970年生まれ)。おイタワシや。

忝うするとか慫慂するとか。いまどき小学生でもいわねぇよ。