どれが社会学だ。

ネタにマジレス。
社会学に携わっておられる方としては一つの採りうるオプションであろうかとも思うので、別に異論はない。

この発言に対し社会学の正統みたいなことを訴えてみても(マジレスしてみても)あまり意味はないし──つまり社会学的な利得がないし──、社会学に末席ながら携わる者としては、その発言をも社会学的に考察することが重要なんではないかな、と思う。

しかし、社会学に携わっていない 俺に言わせてもらえれば、だ。
あのテの決め付けオヤヂな方には、まずは「そんなものはこの世に存在しない」と教えて(=叱って)あげることが必要ではないか、と思われるところなのではあるよ。

だって迷惑だし。
それに彼の場合、ネタが「社会学だから「ああ」だったってことなのかどうか──ひょっとしたら「ほかのこと」でも「そう」なんじゃないのか、と──、いささか疑われるところもあり♪


という言い方だときっと分かりにくいので、同じことを違う仕方で書いてみる。

このひとが社会学についてどんな考えを持っているか、などということは、結局のところ(全世界のほとんどすべての人にとって)どうでもいいことだ。──と誰かがいうなら、それには賛成しよう。
問題は 結局、「それは社会学だ」という言葉を他人に投げつけることで、この人が──積極的には──何をいいたかったのかということが、最後までわかんなかった、ということのほうなのであった。さらにいうなら──客たちにとってはこちらのほうが「重大な問題」であったわけだが──

    • このひとが、いったい何をしに登場し・なんのため二時間のあいだそこにいたのか、ということや
    • そもそもこのひとは、イベントが始まる前に、いったいなにをどこまでしていたのかということなどなどが、

総じて言えば、

    • いったいこのひとは、自分の仕事をどこまでちゃんとやったのか

ということが、大きな謎として観客(のひとりである俺)の前に提出された、ということのほうなのであった。

さらにさらにいえば、こんなにとっちらかったイベントの後で、彼はいったいなにをしたか、ということも気になりはするところであるよなぁ。


念のため書いておけば。「はたして このひとは、自分の仕事をちゃんとしたのだろうか?」と書くときに私が気にしているのは、私が払った入場料に見合うくらいのものでしかない。