涜書:ルーマン『社会学的啓蒙2』

昼食後半。『啓蒙2』再読。

もう少し詳しく検討する価値ある論文であることが分かったので、いましばらくここに滞留することにする。


内容概略メモ。

  • I 隣接諸分野における「複雑性」概念使用例を瞥見したあと、それが、旧いヨーロッパの思考財における「多様ナモノノ統一」の後継者の位置にあることが確認される。
    →このことが、「複雑性」概念と、「様相」や「同時性」といった論点との関わりを考える際の出発点となる。(ただし、この論文で詳しく論じられているわけではない。)
  • II まずは〈要素/関係〉-区別を手がかりとして、「複雑性」概念の規定が開始される。
  • III 「II」で得られた暫定的な規定が──再度──、旧いヨーロッパの思考財(ここではヘーゲル論理学における「限度」概念)と対照される。
    ちなみに、『小論理学』「存在」論の見出し[A質|B 量|C 限度]の3番目。
    「限度」も「複雑性」も、質と量を併せ持った概念だから という理由で、ここで比較されているわけですな。
  • IV 「II」での比較を手がかりにして、翻って今度は「要素」概念のほうが検討される。そしてそこから議論は 「複雑性」とシステム準拠の関わりのほうへ。
  • V この論文のハイライト: I〜III における考察が、〈システム/環境〉-区別に差し戻される。
  • VI 付論: 〈システム/環境〉-区別と相関的に考察された場合、複雑性概念は、その概念上の構造からみて、かつて「合理性」と呼ばれたものと同等であることが確認される。
    したがって、「複雑性」概念は、かつて「合理性」と呼ばれたものの吟味検討に用いることができることになる。
    (→このことが「社会学的啓蒙」というプログラムを与える。)

VI での、ハバーマスに対する切り返し方がちょっと面白い。

「複雑性概念は、かつて「合理性」と呼ばれたものの後継者である」という物言いに対しては、ハバーマスならば「そんなものは【技術的合理性*】にすぎない」と言うだろう。

そしてそのように批判する際には、ハバーマスは「技術的合理性」についてよくわかっているつもりでいるわけだ。

しかし、ハバーマスのやり方では、そもそも「技術的合理性」がどんなものであるのかということ自体が検討できない筈だ(以上大意)

‥‥云々、と。
ごもっとも。

* これは通常、「ある条件に鑑みて、手段と目的を最適な仕方で組み合わせること」といったことだと解されている。ルーマンにしてみれば、この「手段と目的を最適な仕方で組み合わせる」というこの表象自体に、すでに謎がたくさんあるのだ、ということになる。ここでルーマンが参照を求めているのは もちろん『目的概念とシステム合理性』[1968]。

目的概念とシステム合理性―社会システムにおける目的の機能について

目的概念とシステム合理性―社会システムにおける目的の機能について


【追記】
ヘーゲル小論理学の目次を発見: