『社会研究の哲学』ISBN:0582311055
第2章第3節「実証主義のエレメンツ」。

- 作者: デイヴィッドヒューム,David Hume,斎藤繁雄,一ノ瀬正樹
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 2004/05
- メディア: 単行本
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直前の箇所で、いわゆる「ヒュームのフォーク」──〈論及に値する事柄は、「量や数に関するなんらかの抽象的推論」か「事実の問題と存在に関するなんらかの実験的推論」かのいずれかだけである〉という主張──を展開したうえで、それを受けて、この最後の段落が来る:
以上の原理に納得しつつ、書斎の本にざっと目を通すとき、われわれはどんな破壊をなさねばならないだろうか。もしどれかの書物、たとえば、神学あるいはスコラ形而上学の書物を手に取ったなら、こう尋ねてみよう。それは量や数に関するなんらかの抽象的推論を含んでいるか。否。それは事実の問題と存在に関するなんらかの実験的推論を含んでいるか。否。ならば、その書物を炎に投ぜよ。なぜなら、それは詭弁と幻想しか含むことができないのだから。[訳 p.154]
「ヒュームのフォーク」に関しては、別の箇所で訳者(の [daisensei])が次の注をつけてくれているのだが‥‥:
(7) 「観念の関係」と「事実の問題」は、おおよそ、論理的知識と経験的知識とに、つまりは分析判断と総合判断とに対応する。この二つの知識を区別するヒュームの議論は、フリューなどによって「ヒュームのフォーク」(Hume's Fork)と呼ばれている(cf. Flew, A., Hume's Philosofhy of Belief, Routledge & Kegan Paul, 1961, p.53 et al)。けれども、本解説中で触れたように、ヒュームがこの区別を本当の意味で保持しようとしていたかどうかは疑わしい。むしろ、すべてを「事実の問題」に吸収してしまおう、というのがヒュームの目指す方向性であったというべきだろう。[p.275]
これでは──「けれども」以降の大先生の見解はさておくとしても──ちとピンとこない。
ので、直前の箇所も引用しておく。それぞれこんな感じ:
みつかりません。

社会理論の現代像―デュルケム、ウェーバー、解釈学、エスノメソドロジー
- 作者: A.ギデンズ,Anthony Giddens,宮島喬,森反章夫,本間直子,百々雅子,江原由美子,儘田徹,田中秀隆
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1986/09
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