納涼トッシキ祭り:ルーマン「単純な社会システム」

朝食。毎度再訪。
『要綱』5章。内的分化/外的分化とか。



・言葉遣いのお約束の確認:

    • 「相互行為」が「単純な」社会システムだと謂われるのは、その内部での分化が難しい──不可能なのではない──から。
    • ある社会システムaが内的に分化して新たな社会システムbが形成されたとき、社会システムaを〈(社会システムbに対する)「包括的なシステム」or「内部環境」〉と呼ぶ。


「相互行為の内部環境」とは、当該相互行為の外で 生じた・生じている・生じるだろう 行為(/コミュニケーション)のこと。
で。
議論はどうなるのだ。



[100307] 10章3節07 相互行為の内部環境

  • 相互行為は、コミュニケーションシステムである。
  • しかしまた相互行為では、
    再帰的な知覚-をとおして-コミュニケーションが強いられていると同時に、
    再帰的な知覚-によって、一種の「内部環境」に接近することが可能となっている。
  • コミュニケーションの営みは、「内部環境」を-とおして- 可能にされ・維持され・修正される。

二度登場する「をとおして」は同じ言葉か?(要確認。>俺)

  • 再帰的]知覚とコミュニケーションは──それぞれに固有の遂行能力の限界内で──互いに負担軽減しあうことができる。このようにして、相互作用システムの内部では、コミュニケーションの強化が可能である。
  • 相互作用システム以外の社会システムのばあいには、そうしたコミュニケーションの強化に等価なものはまったく見いだせない。

再帰的な知覚-をとおして-コミュニケーションが強いられている」のほうは、[100305] に登場した「The Impossibility of Not Communicating」のこと──再帰的知覚のコンテクスト下では「コミュニケーションしないでいることがほとんど不可能だ、ということ──だろう。
ここ [100307] では、「それと同時に」生じている ほかのことが話題になっている。わけだが。なにが話題になっているのだw?
「コミュニケーションの強化」というのは、コミュニケーションの話題が限定・規定(特定化・構造化)される、といったことか。


再帰的知覚/コミュニケーション〉、〈間接的コミュニケーション/観察可能なコミュニケーション〉、そして「内部環境」。 ‥‥たくさんの駒が出てきて、しかもそれらのいちいちがことごとく詳細不明。腹立たしい。