夜食。
一章につき ひとつふたつづつ、地味なギャグが間欠的にかまされてておかしい。カナディアン・ジョーク?(謎
- 作者: イアン・ハッキング,渡辺博
- 出版社/メーカー: 産業図書
- 発売日: 1986/12
- メディア: 単行本
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Representing and Intervening: Introductory Topics in the Philosophy of Natural Science
- 作者: Ian Hacking
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
- 発売日: 1983/10/20
- メディア: ペーパーバック
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9章はこれと一緒に:
- 作者: エルンスト・マッハ,高田誠二
- 出版社/メーカー: 東海大学出版会
- 発売日: 1978/06/01
- メディア: 単行本
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- 作者: 山本義隆
- 出版社/メーカー: 現代数学社
- 発売日: 1987/01
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■序論「合理性」
- 「理性的」は評価語ではない用法がある。「非理性的」はおもに評価語。[p.26]
■第9章「実験」
- クールなハッキング(^_-)v:
科学的方法とは何か。それは実験的方法なのか。この問は立て方がまずい。なぜ科学の唯一の方法が存在しなければならないのか。家を建てるのに、またトマト栽培でさえ、たった一つの方法しかないわけではない。われわれは知識の成長のように様々なものが混じっているものが一つの方法論に縛り付けられることなどを期待すべきではない。[p.248]
- カナディアンジョーク(?):
[p.251]
- 歴史の書き換え:
[p.261]
- カナディアンジョーク2:
[p.270]
- 「蒸気機関」発明の3つの段階[p.265]:
- google:ニューコメン+大気圧機関[1709-15]
- google:ワット+凝縮機関[1767-84]
- google:トレヴィシック+高圧機関[1798]
イノターネットは便利だな♪
■第10章「観察」
- 観察の理論負荷性?
観察と理論の間には、多くの区別がある。純粋な「観察言明」という哲学的観念は すべての言明は理論負荷的であることを根拠に批判された。これは攻撃の根拠としてはまずい。前理論的観察言明はたくさんあるが、それはめったに科学の年報・紀要には登場しない。[p.272-3]
- 「見ることseeing」という概念:
ベーコンは直接知覚できるものと、単に「呼び出す」ことしかできない不可視の出来事との区別を知っていた。この区別はベーコンにとって明白なものでもあり、些末なものでもあった。それが本当に重要になったのはようやく1800年以後のことであることに関しては いくらかの証拠があるが、その頃に「見る」という概念が いくらか変形を蒙っているのである。1800年以後は、見るということは事物の不透明な表面を見ることであり、すべての知識はこの道を経てやって来なければならないのである。これは実証主義と現象学の双方に取っての出発点である。ここでは前者だけに関係がある。われわれは推論と肉眼で(あるいは補助を用いない他の感覚で)見ることとを明確に区別することの必要性を実証主義に負っているのである。[p.274]
「概念の変容」キタ━(°∀°)━!
- 言明、記録、結果
ファイヤアーベントの「事実の言明、観察報告、実験結果」は 同一の種類の事柄でさえない。それをひとまとめにしてしまえば、実験科学の中で進行していることに関しては、どんなことに注目することもほとんど不可能になる。[‥]
産まれてからこの方、「テーブルは茶色である」とか「テーブルは茶色に見える」というような文を私が語ったことがあるか疑わしいのである。私は適切な光の下でテーブルを見る時にはじめの文を語る習慣を持っていないのは確かである。[p.282-5]
「同一の種類の事柄ではない」キタ━(°∀°)━!