夕食。
- 作者: 沼上幹
- 出版社/メーカー: 白桃書房
- 発売日: 2000/03/01
- メディア: 単行本
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- 第1章 問題意識
- 第2章 2つの環境観──〈行為のシステム〉と〈環境のシステム〉──
- 1.はじめに──ふたつの理念型──
- 2.〈行為のシステム〉としての環境記述
- 3.〈変数のシステム〉としての環境記述
- (1) ダントン──知覚された不確実性──
- (2) アストン研究
- 4.経営戦略論における行為システム記述と変数記述
- (1) 変数システム記述──ポーターの業界の構造分析──
- (2) 行為システム記述──シナリオ分析──
- 5.行為システム記述から変数システム記述へ
- (1) 支配的な環境記述様式の変遷
- (2) 正統派に見られる行為システム記述
- (3) 変数システム記述の進展
- (4) 反正統派としての行為システム記述
- 6.要約
これはきつい...。正直なにいってるかさぱーりわからん。
たとえば著者が、〈被覆法則的説明/メカニズムによる説明〉ペアを〈変数システム/行為システム〉ペアに等値しているのはわかる。しかし「どういう理由によって等値されているのか」というのがわからない。言いかえると、〈行為システム〉なるものが、どうしてその名でもってそう呼ばれるのかが分からない。
もう一歩下がって別のいい方をすると。
書きっぷりをみるに、おそらく著者のひとは、
- a)学的観察者が〈意図〉を取り上げた場合、そこでは〈行為〉が問題となっている
とか、また逆に
- b)〈行為〉を扱うには、〈意図〉──や「〈意図〉せざる結果」──を取り上げればよい
などなどという前提をもっているのだと思う(だから、著者は「まさにこれ↑が“理由”だ」というかもしれない)。 私にわからないのは、著者がなぜそういう前提を置くのか ということであり、またそういう前提を置いたうえで〈行為システム〉なるものについて語ることは いったい何をした(/言った)ことになるのか、ということなのであった。
いずれにしてもこの議論は、大枠で、──以前 ダッハーマ氏に教えていただいた*──クルーグマンのエッセイ「経済学者は進化理論家から何を学べるだろうか」の構図にすっぽりと嵌っているように思う(「被覆モデル的・変数モデル的」のほうが通常の均衡論的議論に、「メカニズム的・行為論的」が「進化経済学的」のほうに、それぞれ相当する)。
そして──予想するに──、これ以降の著作のストーリーは、この図式から一歩も出ずに
- 経営学の主流は「変数-被覆法則-モデル」だが、経営学には「行為-メカニズム-モデル」も必要であり(!)、
- 実際に、経営学者は「無自覚に」どちらも使っているが、
- 方法論的に「自覚的に」、双方を相補的に用いることが必要だ
という主要主張のもとで、その「自覚的に」の部分を明示化するのがこの著作の課題だ、ということになるっぽい。(が、だとしたら先を読むのはかなりキツいなぁ。この予想ができるだけ裏切られることを期待したいところ。) [→違った。次のエントリを参照のこと。]
とか考えつつうしろのほうをパラパラめくっていたら、中盤部分に「簡略版コールマンボート」みたいな図が載っていて**先を読むのがまたつらく感じられたわけだが。(そして、この簡易ボートの 底[→行為]から上[→マクロ変数]にあがるには、学的観察者による「解釈と合成」が必要らしい。‥‥見事な「二次理論」図式であります。)
** 参照文献にコールマンの名は挙がっていない。