本日のブクオフ:糞本

夕食。気力体力が著しく定価。いま300円くらい(安っ)。
タイトルを書くのもはばかられるような糞本を、「こりゃぁ見事だ」と賛嘆とともに うっかり ぜんぶ読んでしまい*鬱がいやます。
アドルノの消極的対話」というのが出て来て なんのことだか(0.5秒ほど)気づかず、脳裏に「????」が駆け巡ったが、2秒ほどしてみると或る意味言い得て妙な気がしなくもない、とか思ったりもして**みたがやっぱりそんなこたないか。

* 必要も無いのに言い訳をしておくと、論文集なので、ひとつくらいはまともなのがあるかと思ってしまったのだった。みごとにすべて糞だったのだが、こういうのも珍しい。言い訳だけど。
** 「アドルノのいう、問題を克服せず決して解決をもたらさない消極的な対話の過程」とか書いてあると、「精神のエネルギー」(©ベルクソンが低下しているときには あるいはうっかり納得しそうになるということはあるのではないだろうか。決してないといえるだろうか。いやない。

 あと、「Coultreは、実践知が自然言語への習熟と結びつきをもつ、と指摘している」とか書いてあって──3段落くらい費やしてこの Coultre というひとの議論を紹介しており──、「ほぅ、初めてみる名前だが‥‥フランスのエスノメソドロジストかな?」と思いかけたが(0.5秒)、念のため文献一覧をみてみたところ(3秒) ‥‥スペルミス*だった。

* コピペミス?(Coultre で 5回くらい登場するんだけど....)

心の社会的構成―ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーの視点

心の社会的構成―ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーの視点

社会って複雑だな。

ところで「ことえり」は「じっせんち」を「十センチ」と変換してくれる。かわいいやつだ。