涜書:ミンツバーグ『マネジメントについて』

夕食。isbn:4478170258

第I部 マネジメントについて

  • 3章 左脳で計画立案し、右脳でマネージする
  • 4章 分析と直観の連結によるマネジメント
  • 5章 MBAではなくマネジャーを訓練する

第II部 組織について

第III章 わたしたちが住む組織の社会について

  • 15章 だれが企業を統制するべきか
  • 16章 「能率」という汚い言葉についての一見解
  • 17章 マネジメントが社会をだめにした

右脳とか左脳とか──分析とか直観とか──言うな。
4章ではサイモンとの手紙のやり取りが紹介されてて面白い。

私にはどっちも間違ったことをいっているように見えるけど。でも、サイモンがごく常識的な見解を述べているだけなのに対し、ミンツバーグは深淵に足を踏み入れてしまっている。恐るべし。
というか。どうやらこのひと、最初から「そういう」ひとだったらしい。

5章の一行要約:「子供にマネジメントを教えてもしょうがない」。


本日のご高説:もしもおいらがMBAを改革するなら──

5章 MBAではなくマネジャーを訓練する

 [ミンツバーグ自身が推奨したい──通常のMBA教程とは異なる──「描出的透察」というやりかたの]対策の処方に伴う問題は、一般的応用がきかない点である。多くの異なった組織から集まって同じ教室に座っているマネジャーたちが抱えるさまざまな問題を、一つのアプローチで解くことはできない。対策の処方は文脈に対応するべきものであり、特殊な状況のなかで、その時、その場所のニーズに合わせて決めるべきものである。

 効果的な対策の処方にとって決定的なのは効果的な診断であり、そして診断は今現に問題となっている状況についての最善の理解にかかっている。マネジメントには、率直に言って問題とその症候を把握するための総称的なカテゴリーが欠けている。おそらく医学には存在しているはずだが、そうしたものは問題を診断し、対策を処方するための簡便法である。マネジメントの問題は、少なくとも上級層では、普通それぞれ独自に研究されなければならない。それだからこそ描出がわたしたちの手に入るもっとも強力な処方道具だと信じるのである。ただし、正しい人物が──情報に通じた実務家が──手中にすればのことであるが。

(そしてこれが、なぜわたしが研究者としての自分の役割を技法の創造ではなく、透察の開発にあると考え、また教育者としての自分の役割を何らかの変化を処方することではなく、そうした透察を広めることにあると考える理由である。ある特殊な文脈においてコンサルタントとして働くときだけ、わたしは対策の処方に関わりを持つ。[‥]

 このような描出素材の実際の内容としては、二つの領域を包括できる。第一は組織の基本的機能──組織はどのように決定を下し、戦略を形成し、情報を処理するか、そのマネジャーたちはどのように仕事を実行するか、等々──である。第二は組織環境──経済的、政治的、社会的、財政的、等々の文脈──についての基礎知識である。[‥]

 自分の教育経歴の端緒から、わたしは教室では描出的理論を用いることに力を入れてきた。しかし間もなく質問が返ってきた。「先生、マネジャーが実際にはどのように仕事をしていて、組織が実際にはどのように戦略を策定しているかについて教わるのはよいのですが、いつになったらそうした物事をどう実行すればよいのか教えてくれるのですか。卒業した日からすぐに使えるようなことを」。「ちょっと待ちなさい」と答えたものだ。[‥]「ドアノブがどのように動くのか知らなければ、君はこの教室に入れなかったはずでしょう。君はなぜ、組織がどのように機能するかをすっかり理解できたと思うのですか。ひどく入り組んだシステムだというのに。今君に対策の処方を授けても、使いようがないでしょう」。わたしは今教えているエグゼクティブたちにもほぼ同じことを言っている。「わたしから対策の処方を期待しないでください。わたしにできることといえば──事実としてだれだって皆さんのさまざまな組織を前にしてできることといえば──内容豊富な描出を、あなたがたの世界を眺めるさまざまな視点を、提供することだけでしょう。もしそれが優れたものであったら、どう対処すればよいかはあなたがた自身でわかるはずです。」

 なぜマネジメントの領域にいるわたしたちは、[通常のMBA教程で採用されている、次に挙げるような]未熟で包括的な対策の処方に固執し続けるのか。そのために今世紀を通して何回となく道を踏み外してきたはずである。参加的経営がそうである(服を着替えるようにリーダーシップ・スタイルを着替えよ)戦略的計画立案がそうである(チェックリストによる創造性)。あるいは昨今のボトムラインヘの妄念がそうである(製品でなく、市場でなく、さらには顧客でもなく、利潤自体をマネージすることによる利潤追求)。またもやもう一人の財務論担当の教授がやってきて、マネジャーたちが自分の講義に退屈するのは程度が高すぎるからだと言い張る。もうごめんこうむりたい。

 工学部の教室で学生が「先生、原子がどのように実際に作動しているかを教わるのはよいのですが、原子がどのように作動するべきかについて、いつになったら教えてくれるのですか」と質問する場面を想像できるだろうか。工学部の学生が物理学を学び、医学部の学生が生理学を学ぶのは、問題となっている現象について深く理解しなければ、そうした分野の職業に就けないことをだれもが知っているからである。なぜ、マネジメントはこの点で違っていると、あくまで考え続けるのか。[p.135-138]

ちなみにミンツバーグ先生は工学部のご出身♪

「描出的透察」の原語はなんだろう。「描出的」のほうは descriptive だろうけど、「透察」は? insight?
原著買った方がいいなこりゃ。
ちなみに「浅薄なマネジメント/濃厚なマネジメント」とか訳されてるが、これはギアツを踏まえての表現ですよ。ほかにもヘンな訳たくさん。