経営組織論における自然発生的(古典)社会学

ミンツバーグ『マネジメントについて』2周目。続き。

人間感覚のマネジメント―行き過ぎた合理主義への抗議

人間感覚のマネジメント―行き過ぎた合理主義への抗議

14章 コンフィギュレーションを超えて

 組織のある特定のニーズに基づいて、またはおそらくはただ単なる権力の恣意的な行使に基づいて、一つの力がいったん他を支配するようになると、組織は[ミンツバーグが考案した 組織の5類型の]どれか一つの角へ引き寄せられて、わたしたちのコンフィギュレーションのうちのどれか一つに特有の形を多かれ少なかれとるものと予想するべきである。言い換えると、ある一つの力に組織がなびくとき、力は一つの形となる。コンフィギュレーションの内部で起きることの多くは、支配的な力を反映したものになる。社会学者のマックス・ウェーバーは、わたしたちのコンフィギュレーションがそうであるような現実の戯画化に「理想型」というラベルを用いた。彼は「理想」という言葉によって、完壁ではなく純粋を意味した。そこでわたしたちのコンフィギュレーションを純粋形と呼ぶことにしよう。現実の組織がわたしたちの純粋形のどれか一つに完全に合致することはないが、しかし先ほど示した実例のように、あるものは驚くほど近づく。[p.402]

理念型キタ━(°∀°)━!

 したがって、コンフィギュレーションは現に存在しているとわたしは結論したい。もしわたしがこれまで自分の職務を正しく遂行してきたのであれば、そうしたものは究極的にすべての知識が存在しているはずの所に──人々の心のなかに──存在しているはずである。このことを念頭に置いて、それではコンフィギュレーションの発生についての証拠をいくつか検討してみよう。[p.404]

理念的実在キタ━(°∀°)━!

 汚染は実はコンフィギュレーションが単なる構造ではなく、単なる権力構造でさえもないということの言い換えである。それは文化なのだ。機械的だとか革新的だとかいうのは、ただ単に組織づくりの一様式のことをいうのではない。それは生活様式なのだ。[p.410]

文化キタ━(°∀°)━!