「真理とイデオロギー」

懸案のままにのこされた論点について、フォーラムに メモを送るのを忘れていた。
http://socinfo.g.hatena.ne.jp/contractio/20060410/p1

  • Niklas Luhmann, "Wahrheit und Ideologie -- Vorschläge zur Wiederaufnahme der Diskussion,"
    in Der Staat 1 (1962), pp. 431-448 → Soziologische Aufklärung 1: Aufsätze zur Theorie sozialer Systeme, Westdeutscher Verlag, 1970, pp. 54-65, isbn:3531141767
    ニクラス・ルーマン(1962)、「真理とイデオロギー──議論の再開のための提案」


次回──というのはもう本日のことだが──から別の論文に入ってしまうので 書いておきたいところなのだがもう寝ないと明日の業務に差し支えるしなー。催促されたら書くことにするか。

とりあえず、「真理も射影射映的な性格をもつ」という主張を「現象学的な真理(論)」とは呼ばないと思うぞ、とだけは書き付けておこう。


懸案の問題は、「真理とイデオロギー」論文 32段落目に登場する「真理」が、〈象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディア〉[abb. SGCM] としての真理*と同じものなのかどうか、ということ。
言いかえると、「SGCM としての真理」は、〈別様可能性〉を持つかの否か、ということ。

* ルーマン自身が──『論争』最終論文で──使っている表現を
ここでも、ルーマン理論における「システム論-と-現象学」のパラレリスムを簡単に確認しておくために、
書き添えておけば、間主観性にレリヴァント〉ないみでの真理


ここで、

  • 〈持たない〉のだとすると‥‥
    • →「ルーマン理論には真理概念が二種類(以上)ある」ということになって──話がややこしくなる。
  • 〈持つ〉のだとすると*....
    • 現象学的な〈意味〉分析 -のもとでの- (間主観的な)〈真理〉論──における別様可能性──とはどんなものか、ということが問題になる。

...わけですが。
これは‥‥  まぁ.... 「真理とイデオロギー」論文には──タイトルに反して──〈真理〉を巡る議論はほとんどないのだし、今後の論文を検討しながら議論いたしましょう、というまとめでいいですかね。
眠いし。

*証示はできないけど**、私は「持つ」といっていいように──直感的には──思うわけです。 なのだから、さしあたりこれを前提にしたうえでいえば、
  • (SGCMとしての=間主観性にレリヴァントないみでの)〈真理〉論も、〈意味〉分析に服さなければならない***。
という話になっていなければならないわけで。
** つーか。証示できなかったからモメたんだけどさw。
*** ついでに言えば、そのうえで/そのことと、
  • 社会学の)主張は、〈真/偽〉の -メディア・コードに-拘束された code-bound- しかたで おこなわれなければならない
ってことを整合的に述べる、という課題はあるが、こちらは特に難しい話ではないので略。


【追記】060425 17:46
蓬窓方面より、誤変換に容赦のない突っ込みが。

メールからでふろぐに飛んだら、「射影」って書いてあるよ……。なに射影って。トホー。

ご指摘ありがとうございます。訂正しておきました。

なお、当ダイアリーの名称(の読み方)は、「でぶろぐ」です。念のため。