涜書:ルーマン『社会システムたち』

夕食。
てことで。
読書会の場で 「共生のメカニズム」について あんまりうまく説明できなかったので、『社会システムたち』を再読して確認してみたよ。

社会システム理論〈上〉

社会システム理論〈上〉

第6章「相互浸透」第9節。結論:

ここで謂う〈共生メカニズム〉ってのは、エリアスのいう 「文明化の過程*」-と-その帰結 (の一部)を指すための言葉だよ(大意)。

isbn:4588099051isbn:458809906X
お。新装版が出てるんだ。しらんかった。


えぇとね。
私にわかりやすい言葉でまとめてみると、こういう議論ですよ。

    • a:特定のコミュニケーション領域において、人間の身体の使い方の特定の やりかた・側面 の可能性が 開発・解発 されたり 制御・限定・統制 されたりするよ
    • b:人間の身体の使い方の特定の やりかた・側面 を資源にして、特定のコミュニケーション様式が促進されるよ

この【a←→b】の間になりたつ関係*が、〈共生メカニズム〉と呼ばれるもの。

* これは〈システム〉ではない(〈コンプレックス〉である)
また、「象徴的に一般化された(機能特定的な)コミュニケーションメディア」との関連でいうと、ここではもちろん、人間の身体が「欲望need」とか「性愛」とか「知覚」とか「暴力」とかの主体として用立てられる[=コミュニケーションの資源となる]ことが焦点となるわけですよ。

なので。
これは、システム間の一般的な関係を表すための術語ではなくて、「人間の身体の使われ方」に照準した──その意味でとても特殊な──術語である、ということに注意が必要。

また、『社会システムたち』のこの箇所で、「共生メカニズム」と並んで扱われているのが、ダンススポーツであることに注意せよ。(そして──もちろん!──、これもエリアスお得意のネタであることにも。)

 なお、この点については、ルーマン来日時の、馬場さんとの──『権力isbn:4326151757』の橋爪解釈をめぐる──やりとり*も参照のこと[p.213-216]:

社会システム論と法の歴史と現在―ルーマン・シンポジウム

社会システム論と法の歴史と現在―ルーマン・シンポジウム

そこで馬場さんはルーマンに ものすごく容赦のない肩すかしを食らわされているのだが、そこで生じている行き違いは、この術語の特定性をめぐって生じているのだと思われる。(ちなみに私も──このやり取りを見るまでは──、この術語は、〈システム/環境〉関係の何らかの側面を一般的に指すための言葉なのだろう、と解釈していたので、これはルーマンの論述がヘタなのだ、‥‥と思いたいw。)



ところで、こういう↑議論を読んでいつも不思議に思うのは、「こんなのに【名前】つけてみて何が嬉しいですか?」ということ。です。

ちなみに、キング・カズが『権力isbn:4130341332』において、偉大なるアメリ社会学の父・我らが親愛なるタルコット・パーソンズ師に述べていた文句も、こういうものであったかと思われる。
というその限りでキングの不満には激しく同意。



■議論のつづき: