夕食前半。
20世紀のドイツ政治理論―日本政治学会年報〈2002年〉 (日本政治学会年報 (2002))
- 作者: 日本政治学会
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2002/12/20
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
- 作者: クリスソーンヒル,Chris Thornhill,安世舟,永井健晴,安章浩
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2004/10/06
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 1回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
とりあえず、
- 小野耕二、「ニクラス・ルーマンの政治理論」
を抱腹絶倒七転八倒しながら読んだあと
を読んで、あとぱらぱらしてみた。
「20年前の自分のラベリング id:contractio:20060809:1155096395 は間違っていた」(大意)と小野さんはおっしゃるのですが...。しかしねぇ。
ほとんどのどの著作でもそうだけど、ルーマンの議論は、主張(に見えるところ)の「骨子」だけ抜き出してしまえば、おおむね糞常識的なものであるか、まるのままほぼそのまんまな先行研究があるか、という事情があるわけで。
だからそこにルーマンの議論の眼目があるわきゃーないわけです。ふつーに糞常識的に考えて。
それ──私の謂う*1「ルーマンに新しいものなし」という事情──を気にせずに「主張」を「理論」として「要約」してしまえば、取り出せるのは「どこかでみた糞のように常識的なよくある議論」なだけですよ。
「政治システム」についての議論もことは同様であるわけでして、そういう仕方で糞常識
を「骨子」としてまとめて「ルーマン政治理論」と呼んでみせたうえで、しかもそこに、研究するまえからあらかじめもっていたであろうラベル(「リベラリズム」とか「ネオリベ」とか「保守」とか「テクノクラティック」でもなんでもいいけど)を──そのラベルについてのなんの吟味もなしに──ペタリと貼付けるようなやりかたで論文を書くから、ヘンなことになるんじゃないですかねぇ。
「20年前の小野さんが間違っていて、今回のは正しい」わけではなく、またその逆でもなく、敢えて言えば「どっちも──おなじ仕方で──間違っている(=ラベルを張り替えただけ)」ってことはありませんか〜??
まぁこれ↑を「ルーマンの擁護」として読まれてしまうと私も困るのですがー(大笑。
ところで政治学会の年報というものを初めて読んだのですが、文末に「今年の収穫」的な文献紹介がのっているのがとても素晴らしいとおもいます。
ところでこっち↓のほうは読んでみた?>yutacake
Niklas Luhmann's Theory of Politics and Law
- 作者: M. King,C. Thornhill
- 出版社/メーカー: Palgrave Macmillan
- 発売日: 2003/09/16
- メディア: ハードカバー
- この商品を含むブログ (2件) を見る