夕食前半。
- 作者: 片桐雅隆
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2006/07
- メディア: 単行本
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あわてていちおう読了、は したものの。
なぜ「認知」なの? ってのを いつかはどこかで言ってくれるだろうと思いながらよんでいたんだけど、結局最後までまったく不明なまま 本がおわってしまったよ(哀。
なんかは言っといてくれないと。困りますよもー。
p.10-11
なお、ここでの「認知」という言葉は、「カテゴリー化による対象の有意味な解釈(interpretation)」のことをさしている。しかし、本論でも指摘するように、認知的な作用は実際には、行為の方向づけ、規範、感情などと意に結びついている。したがって、認知という側面は、理論的にのみ析出しうることを断っておこう。
この文章を理解するのは難しい。が、ともかくもこれは、「認知」という言葉でもって、著者がなにを指すつもりであるかを述べた宣言文であって、なぜそれを指すのに「認知」という言葉を使うのかという理由を述べた文ではない。
「要するにだから【認知主義】との関係はどうなってんのよ?」という疑問に触れているのは、たとえばここ。
p.50
認知科学が、スキーマなどの認知枠組を自己の内部に蓄積された情報処理のための表象と見るのに対して、シンボリック相互作用論は、その枠組が他者との相互行為において修正されたり強制されること、そして、認知的な知覚や処理が相互行為を形成することに注目しようとした(‥)。
おおまかにいえば、「認知社会学は認知主義とは違う」という主張にみえる。
でも、これは「答え」になっているわけではない。むしろ謎を深めるものだ。
あえて好意的に解釈するなら、
といっているように読めはする。 なるほど もしも「同じ」なのであれば「認知社会学」を宣言することに意味はある。しかしそうなのかどうなのか、テクストを読んでもわからない*。
p.33
われわれは、相互の成員がどのようなひとかを示す見取り図としての役割を、従来の役割概念から区別するために「役割カテゴリー」と呼び、それを「自他関係の認知地図(=認知枠組)」と定義した(片桐 2000:ch.2,3参照)。
片桐2000てのはこれ:
- 作者: 片桐雅隆
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