加藤「ミード、スペンサー=ブラウン、ルーマン」

夕食前半。
ひとさまに複写していただいた論文を俺がありがたく拝読するスレ(略称なし)。

  • 加藤一己、2006、「ミード、スペンサー=ブラウン、ルーマン──科学的方法と自己言及──」、中野正大編『現代社会におけるシカゴ学派社会学の応用可能性』(科学研究費研究成果報告書 2006/03)、pp.123-156


2周目。
自己言及のパラドクスとか再参入とか固有値とかブラウン代数がどうのとかゲー■ルがどうのとか(以下略)といった、ルーマン──私の所謂*1──DQNアトラクター的側面を特に取り上げて、すごい勢いで「間違ってるよ!」と指摘している論文です。

で、スペンサー=ブラウンの謂うとおりに自己言及概念をとらえてミードとルーマンを矯正してやると、ルーマン理論はミード理論に包摂できちゃうよ。とのことです。


まぁその。
その側面については、そこでルーマンがなにをしたいのか、なにができているつもりなのか──というかしばしば/そもそも 何を言っているのか──私にはよくわからんことが多いので、残念ながら この論文も検討ができません。

ルーマンは〜〜と言っているけどそれは間違いだよ」(大意)と著者のひとが語る、その「〜〜」の部分がわからないからね。


ということで、あとは任せた。>誰か

あ、ちなみに。「すべての自己言及がパラドクスを引き起こすわけじゃない」ってのは、著者さんの仰る通りですよ。でもそれはトリヴィアルに正しいことで──かつルーマン自身も当然認めていることで──、それをいうのに べつにスペンサー=ブラウン持ち出す必要はないと思う。


なお、──タレコミによると──著者さんには、こいつ↑と関係の深そうな次のような論文もあるそうです:

  • 加藤一巳, 1988, 「初期ミードの意味──弁証法と自己言及」, 『ソシオロジ』32(3)
  • 加藤一己, 2005, 「自己言及概念におけるルーマンとスペンサー・ブラウンとの差異」, 愛知大学文学会 / 愛知大学文学会 編『愛知大学文学論叢』131 [2005.2], pp.246-228, ISSN:0287-0835

*1:© 西田 et al.