昼食前半。
- 作者: 夏野剛
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2006/11/17
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昼食後半。
- 作者: 新睦人
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: 単行本
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真に受けて頑張れ!<学部生のひととか
あとキングの章とかを再読。
9章合理的選択理論
- 1 社会学における「合理性」概念の不安定さ
- 2 軽視された行為の合理性と交換理論の失敗
- 3 合理的選択理論の展開
- 4 合理性から社会的資本へ
キングの章は 教科書的記述としてたいへんよくできていて、この本のなかでも飛び抜けてすばらしいと思った。
キング曰く:
社会構想の理論へ
[‥] 社会的資本の概念や信頼の概念は、「[個人的行為の属性としての]合理性」をもとに[理論を]組み立てようとした個人主義的な社会理論の構成からは逸脱したものだ。なぜなら、そこで想定されている社会構造上の資源は理論上の所与であって、個人の合理性から導きだされたものではないからだ。具体的な起原を問えば、むしろ必ずしも合理的ではないような伝統的ないし宗教的信念に帰着するだろう。/ 率直にいえば、諸個人の行為だけから出発して社会構造や望ましい社会秩序を導きだすことは、本当は不可能なのである。その理由は、盛山『制度論の構図 (創文社現代自由学芸叢書)』(1995) で説明したように、社会構造の構成要素である制度や規範は、けっして行為の集まりには還元できず、人々の思念のなかの理念的な存在だからである。社会を基底的に構成しているのは、人々の行為ではなく、行為やものを意味ある秩序の文脈で了解することを可能にする今日有された解釈図式(一次理論)なのだ。したがって、どの行為が「協力」で、どれが「裏切り」かは、つねに文脈、すなわり解釈図式に依存している。/ [‥] / [‥] 社会的資本は、個人の合理的行為を集合的な帰結に水路づける。個人にとっては「すでにある」ものであって、意識的に作り出すものではない(個人が「利用する」というのは、一面的な見方だ)。 その根幹にあるのが、信頼や義務感であったり、市民的特性やコミットメントである。これらは、人々が社会的世界をどう了解しているかに基礎づけられている。/ このようにして、マクロな社会構造についての基礎理論の構築に向けて大きなステップを踏み出したコールマン理論は、社会的資本という合理性を超えたものを不可欠の要素として取り入れることになったのである。[‥][p.270-271]
あとは、この指摘も勉強になった。
実は、アクセルロッドの研究は、必ずしも合理的選択理論的ではない。合理的選択理論というのは、基本的には事前の計算によって「合理的」だと判断されるような行為や戦略を選択することに基礎を置いているが、彼のシミュレーションでは、TFT戦略は事後的に最大利得を得るのである。[‥]
「事後成立性」に訴える議論あれこれによる「業界地図上の立場を越えたイメージ的野合」が成り立っているっぽい と気付かされ、その点が興味深い。