宴の支度

論点再確認。


Die Gesellschaft der Gesellschaft

Die Gesellschaft der Gesellschaft

第4章。

対面している/不在であるという差異は何ら存在論的な、所与の、客観的な事態ではない。それはシステムの作動によって初めて産み出されるのであり、観察者はこの差異を生産し再生産するシステムを観察する場合に初めて、当の差異を認識しうるのである。[‥]このシステムの自己観察にとっては、始まりと終わりが規定されうるのは《その間》のほうからだけである。[‥]このシステムにとって始まりと終わりは、自身の作動のなかで構成される意味契機であり続ける[‥]。

とか、いいことも言ってるんだけどなぁ。
どうしてこれ↑をちゃんと──類型論なんかに訴えることなく──研究しよう、という話にならないのかなぁ。それが謎。