涜書:松岡悦子編『産む・産まない・産めない』

昼食。

産む・産まない・産めない (講談社現代新書)

産む・産まない・産めない (講談社現代新書)

このテの本て、まずは文体がハードルになっておるよね(俺にはけっこう高い)。
この本は面白かったからまぁいいけど、相当がんばらないと読み通せない感じである。

目次

  • 第1章 「女性が生き方を選ぶということ」 大石時子
  • 第2章 「「月経」や「子宮」との対話から」 田口亜紗
  • 第3章 「産まないことを選ぶとき : 避妊と中絶」 荻野美穂
  • 第4章 「あなたが「不妊」に直面したなら」 柘植あずみ
  • 第5章 「時代が動けばお産も変わる」 杉山章子
  • 第6章 「どこで、誰と産みますか?」 日隈ふみ子
  • 第7章 「「すてきなお産」はあなたもできる」 菅沼ひろ子
  • 第8章 「出産とリスク」 井家晴子
  • 第9章 「帝王切開」という選択」 松岡悦子
  • 第10章 「「母子健康手帳」からみた産育と政策」 中山まき子
  • 第11章 「安心して子育てを始めるために」 北島博之

著者さんたちはこの研究会の方々のようです:


産婦人科って不採算分野なんだ。知らなかった...。

お産のあり方を見直す動き

 1990年代に入ると、病院医療としてのお産の限界が少しずつみえてきました。この時期、医療保険制度の財政的行き詰まりが目立ち、各医療機関は次第に経営努力を強いられるようになっていきます。正常産は「治療」を要しないので診療報酬の対象外です。厳しい財政状況に直面して、収益確保を目指す病院が、産科において診療報酬を得るために必要以上に医療介入を行う例が拡大していきました。[p.101-]


これ↓はなにをいっているのだろうか。解説もとむ>誰か

リスクとは何か?

 いまや私たちは日常的に「リスク」という言葉を口にするようになりました。しかし、そもそもリスクとは一体何なのでしょうか。リスクに関して書かれた文献を読むと、研究者や学問分野の違いにより、その言葉の使われ方が微妙に異なっています。『リスク学事典』(TBSブリタニカ)では、その微妙な違いが生まれる原因として、「望ましくない事象の発生頻度が確率(分布)で与えられるか否かにある」ことが原因だとしています。そして、

  • 確率で発生頻度が与えられるものが狭義のリスク
    • すなわち、「生命の安全や健康、資産や環境に、危険や傷害など望ましくない事象を発生させる確率、ないし期待損失」だと定義しています。
  • また、確率では与えられないものが広義のリスク、
    • すなわち、不確実性(uncertainty)です。不確実性とは、望ましくない事象が発生する「確率」という統計的な概念ではなく、「可能性」としての考え方です。

そのため後者は、研究者によっては「リスク」と呼ばず、単に「不確実性」と区別して表現します。私もこの章では、前者を「リスク」と呼ぶことにします。
 近代医学の文脈では、「リスク」は過去の症例などをもとにした確率的な概念として用いられてきました....。[p.161-162 第8章「出産とリスク」担当:井家晴子]

「男とは、人間のうち女ではないものをいう」みたいな文章じゃね?

だいたい「可能性としての考え方」ってなんだよいったい...


ところでリスク研究学会の名前で別の出版社から同じタイトルの本が出ている件。

リスク学事典

リスク学事典

増補改訂版 リスク学事典

増補改訂版 リスク学事典



【追記】
google:リスク+確率分布+不確実性 で検索すると、見事にあれこれヒットする。
http://www.mizuho-ir.co.jp/report/200307/part1.html

リスク研究の多様性

ところで「リスク」の解釈は、研究者によっても、また研究領域によっても異なるが、

  • 一般的には「生命の安全や健康、資産や環境に危険や障害などの望ましくない事象を発生させる確率」と定義される。つまり、望ましくない事象の発生頻度が確率分布で与えられるものが本来的な狭義のリスクである。
  • これに対して、確率分布では与えられず「危険や障害など望ましくない事業をもたらす可能性(不確実性)」にとどまるものは広義のリスクと表現される。
    • 工学、医学、化学、経済学、経営学等の個別科学で扱うリスクは、狭義のリスクを意味することが多く、
    • 環境科学、政策科学などで多様な価値観や関連する要因をテーマにするような場合は、広義のリスクを意味する傾向がある〔木下〕。

おなじ事典項目を参照してるとこう↑なる、と。意味わかんねぇよ。なんだよ「本来的な狭義の」って。

「確率分布を与えることができるかどうか」なんて めちゃめちゃ「非本来的で便宜的」じゃね?
つーか何を基準に「本来的」とか言いますかあなたわ。


おぉ。こっち↓は意味がわかる。

 従来の経済モデルでは、各経済主体は将来生起し得る全ての事象の生起確率を正確に予測している、と仮定されてきました。[‥]しかし、こうしたリスク証券の収益率の真の確率分布は、正に神のみぞ知る事柄であり、われわれに出来るのは、せいぜい過去のデータから同収益率の確率分布を推測することぐらいです。[‥]このような確率分布を正確に知ることができないという意味での不確実性は、証券の収益率のみならず、殆ど全ての確率的現象(従って、経済学の対象領域だけではなく、他の社会科学や自然科学の対象領域における確率的現象も含まれる)を分析する際に立ち現れます。この不確実性は、宝くじのように確率分布が正確に分かっている場合の不確実性とは明らかに峻別されるべきであり、経済学者は後者を「リスク」と呼ぶのに対し、前者を同問題の重要性を約九十年前に指摘した後のシカゴ学派の総帥、ナイトに因んで「ナイトの不確実性」と呼んでいます。

 ただ、ナイトの不確実性(以下、単に「不確実性」と呼ぶ)を織り込んだ効用関数を解析的に取扱い易い形で構築するのは至難の業であったため、大多数の経済学者は不確実性を捨象しても重要な確率的経済現象を説明し得るという可能性に一縷の望みを託しながら従来の効用関数を前提としたモデルによる分析をつい最近まで連綿と続けてきたのが実情です(経済学者のこうした研究態度は、鍵を落とした男が、自分が鍵を落としたと考えている暗い所は探索困難なため、そこから離れた明るい所で鍵を探していたという辛辣な寓話を想起させます)。残念ながら、膨大な実証分析の結果、多くの重要な確率的経済現象が不確実性を捨象したモデルでは十分に説明できないということが漸く経済学者の間で意識されるようになりました(やはり明るい所では鍵は見つからなかったという訳です)。

どっかで伝言ゲームみたいなことが起こっているのか。


このへん↓になるともうあやしい。

  • Uncertainty: ある対象の不確定要素について「法則」すら分かっていない不確実性
    • 確率分布を特定することが不可能な状況
  • Risk: 不確定要素について「法則」は分かる、または仮定できる不確実性(≠危険)
    • 確率分布を特定したうえで議論可能
  • 金融における不確定要因は一般に「リスク」と称するので、以後は上の区別と関係なく、定量化する(あるいはされた)不確実性を「リスク」と呼ぶことにする。

“リスク”は,一般的には,「人間の生命や経済活動にとって望ましくない事象の発生の不確実さの程度およびその結果の大きさの程度1)」と定義されているが,

  • “望ましくない事象の発生の不確実さの程度”を確率(分布)によって与え得る(与えてしまう)生物学、医学、化学、工学、経済学などの分野では,リスクは「生命の安全や健康、資産や環境に、危険や障害など望ましくない事象を発生させる確率、ないし期待損失」と定義されることが多い。
  • 一方,政策科学、環境科学、行動科学などの“望ましくない事象の発生の不確実さの程度”を確率(分布)で与え得ない学問分野では,「生命の安全や健康、資産や環境に、危険や障害など望ましくない事象をもたらす可能性(不確実性:uncertainty)」と定義されていよう。

こちらは「経済学者は後者を「リスク」と呼ぶのに対し、前者を[‥]「ナイトの不確実性」と呼んでいます」という経済学者の弁に反しております。
上の、事典の孫引きに近い内容ですな。






「知る」についての文法違反が起こっているような気がする。
とりあえず、以上の例たちから言えるのは、「確率分布を与えることができると誰がうれしいのか」がちゃんと書いてないと、わけのわからない文章になる、ということ。

追記