ゆるふわモテメタ読書会:第3回

駒場

Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy)

Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy)

第1章「Abstract Entities」の後半、「抽象的対象なんて無いよ」派の議論。

1.2 There Are No Abstract Objects Cian Dorr

  1. The Thesis (p.32)
  2. Paraphrase (p.36)
  3. Abstract Object in Scientific Explanations (p.37)
  4. Abstract Objects in Philosophical Explanations (p.43)
    • The physical strategy (p.46)
    • The structural strategy (p.47)
    • Brute necessitie (p.50)

の p.40 くらいまで。
著者は、抽象的存在者を含む文の論理分析のようなことをやりたいようなのだが、読者にしてみると、推論における導出が分析的か非分析的か、ということだけをとってみても、論点先取になってないのかどうかを判断するのがたいへん難しい。ご苦労なことである(読者が)。


上で「論理分析のようなこと」と呼んだのは、著者が小見出しでいうところの「paraphrase」なのだが、それが3節「科学的説明における抽象的対象」では次のように使われる:

  • Tを「an ordinary scientific theory incorporating certain mathematical axioms」だとしよう[p.38]。

Tの中には抽象的対象の存在にコミットしているようにみえる文が含まれるはずだが、それをオッカムの剃刀で削って(T* にして)やる(→paraphrase):

  • T* If it were the case that [mahematical axioms] and the concrete world were just as it actually is, it would be the case that T [p.38]

著者は、これは「exactly the same consequences for the concrete world as T itself」だというのだが、しかし「exactly the same」とはどういう意味だろうか。言い換えると、この「パラフレーズ」には、抽象的対象への存在論的コミットメントを回避すること以外の何事かも、いっしょに してしまっていないだろうか。
私には──社会学に目がくらんだ私には、というべきかもしれないが──ここでもう、議論は「社会学的」な領域に足を踏み入れているように思われる。つまり、これは(科学的)実践の記述の問題を提起しているように見える。



■補遺
「ブラッドレーの背進」文書。