石川良子『ひきこもりの〈ゴール〉』

「The 社会学」という感じの著作でありました。


この箇所とか、自分にとっては──「世の中には こういう考え方もあるのか!」的な意味で──衝撃的だった。[p.143-144]

[...] ここでは、Aさんにとって 学卒即就職という選択肢は、唯一絶対のものであった ことを指摘したい。「別に就職しなくてもいいじゃない?とは思わなかった?」という質問を投げかけると、「そう思えてたら最初からひきこもりには、なってないですね」という答えが返ってきた[5-12]。
 このことはBさんにも当てはまる。彼に「あるべき姿じゃなくてもいいんじゃない?とは思わなかった?」と投げかけたところ、彼は「発想がなかったね」と答えて、こう続けた。

 これはちょっとイレギュラーだろうと思ったんだけど、で、後々振り返ってよく考えたら、うん、ほんとはその将来のこととかいうのはもっと中学とか高校とかそういうときから考えとくべきだったんだけど……全然考えないでいた、確かに。だから、大学まで推薦でとりあえず、まあ、そこそこ成績があれば行けるし、大学行くってところまでしか考えてなかったから、ここで何をするとか、その先どうするっていう、あの、概念が全然なくて、大学まで行くってしか、全然なかったから、確かにそのつけをきっと払わされてるんだろうなって思うけど。[5-14]

[...]
 以上のように、かつて直面していた危機は、ひきこもる以前に(そしてひきこもった後も)自明視していたライフコースからの逸脱 として語られている。そしてその危機は、それ以外の選択肢を想像さえできなかったために生じたと説明されている。こうした危機についての語りは、ひきこもったきっかけとして語られる出来事がなんであったとしても、 [...] ほとんど全てのインタビューで語られることである。[...]


読んでる最中、ずっと気になっていたのはヤンキーのことなんだけど、「ヤンキー」と「ひきこもり」を対比した論考とかないのかな。>識者

日本の大学進学率は、1990年で25%くらい、2000年で40%くらいであるらしい(Wikipedia:http://bit.ly/aHOMR2)。
「学卒即就職」という「ライフコース」ビジョンは、そのパーセンテージ周辺の人たちにしか関係がない。 たとえば、多くの「ヤンキー」には、こういうビジョンはぜんぜん関係がない。また──ヤンキーではなくても──たとえば高校生活を地方都市でおくった私にとっても、「大学に進むか否か」というのは 明確に「選択の問題」であった。(実際 私自身はかなり悩んだ末に進学を決めた。)



しかし アンソニー・ギデンズとジョック・ヤングの登場の仕方は Deus ex machina だよなー。