書籍に索引を付けないすべての出版社と編集者に災いがありますように。
リスクネタ(id:contractio:20110326)の続きで再訪。
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リスクネタ(id:contractio:20110326)の続きで再訪。
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「拡張」の必要性とはなにか。 第2論文「世界リスク社会、世界公共性、グローバルなサブ政治」。 なに言ってっか さっぱりわからん。二度と読みたくない。 こんな感じの文章が延々と続く:
- 自由な世界経済における危機と対立の可能性を適切に制御できる拡張された政治概念を、わたしたちは必要としています。
- また、この転換を自分たちの責任として引き受けるようなアクティヴな文明化社会や市民社会や社会運動に対する理解を、わたしたちは必要としています。[p.48]
多額の投資が継続的な合意を前提としながらも、この合意が単純な近代化の古いルーティンではもはや保証されず、危険にさらされるという意味で、世界リスク社会において産業プロジェクトは政治的な営みになります。なんだよこれ。寝言か譫言か自動筆記か、という。 語用例:例えば、ブレント・スパールといった廃棄物の問題や、また生産様式や生産計画にみられるように、これまで閉じられた扉の背後で「物事はそうなるものだ」と取り決められ、実行されてきたことが、公共的批判の集中砲火にいまや潜在的に耐えていかなくてはいけなくなるのです。これは、行政と国家と経済と科学との間にあった古い「進歩への連携」に対する信頼がもはやなくなったことの結果です。産業はたしかに生産性を高めますが、同時に正当性というものを危うくしてしまうからです。法規定は、もはや社会平和をもたらしません。なぜならば、法規定は危険によって生活に対する脅威を一般的なものにし、正当化するからです。その結果、政治と政治でないものの転倒という事態が生じます。政治が非政治的なものとなり、非政治的なものが政治的なものとなります。サブ政治の時代がやってくるのです。[p.104]
いま述べてきたことはすべて、世界リスク社会の診断によっても確認されています。というのも、そうしたグローバルな危険化は、すべて一緒になって、これまで確立されてきたリスク理論の基板を掘り崩し、失効させ、予見できるリスクの代わりに制御するのが困難な危険が支配する世界をもたらすからです。[p.109]