ネットで拾った論文を読むものである。
- 馬原 潤(2001)「エルンスト・カッシーラーと「啓蒙」の行方(一):「シンボル形式」の哲学から「シンボル形式」の政治へ」、『同志社法學』 52(4), 358-416, 2000-11-30
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000200123 - 馬原 潤(2001)「エルンスト・カッシーラーと「啓蒙」の行方(二・完):「シンボル形式」の哲学から「シンボル形式」の政治へ」、『同志社法學』 52(5), 196-280, 2001-01-31
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000200130
- はじめに エルンスト・カッシーラーと政治
- 第一章 シンボル形式の地平と啓蒙の精神──モデルネ構造転換──
- 第二章 シンボル形式の両面的価値──技術をめぐって──
- 第三章 文化と政治──シンボル形式の政治的可能性──
- おわりに 「啓蒙」の新たな始まり
前半は能書きばかりでどうしようかと思ったが、第二論文の後半(=第二章)は面白かった。
「カッシーラーにおける政治的なもの」を探るために「技術」というトピックを手がかりにする、というのは──最初ちょっとびっくりしたけど、読めば──「なるほど」と思わされる。
ただし当の「技術論」が面白いかどうかは また別のはなし。
とはいえ、第三章に入ると 議論はまたお題目的なものの羅列に戻ってしまうのであった。うーん...。