涜書:大黒岳彦(2010)『「情報社会」とは何か?』

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  • 序  章 「情報社会」──言葉とイメージ
    • 0-1 「情報社会」など存在しない?
    • 0-2 「情報社会」か? 「情報化社会」か?
    • 0-3 SFと情報社会
    • 0-4 SFがもつリアリティーの二つの根拠
    • 0-5 現実とSFの相互浸透
    • 0-6 情報社会の「悪夢」
    • 0-7 情報社会の二つのイメージ
    • 0-8 「手段」としての情報と「環境」としての情報
    • 0-9 「情報」の変質がもたらすもの
    • 0-10 情報とシステム
    • 0-11 情報と身体
    • 0-12 情報と権力
    • 0-13 転機としての「1984年」
    • 0-14 再び「情報社会」か? 「情報化社会」か?
    • 0-15 情報社会の進展
    • 0-16 情報社会という「現前」の脱-構築へ
  • 第一章 テクノロジーからテクネーへ――情報社会と技術
    • 1-1 テレビの終焉?
    • 1-2 ある人気テレビ番組コーナー終了の顛末
    • 1-3 テレビの黄金時代
    • 1-4 個人的な体験から
    • 1-5 「一億総白痴化」をめぐって
    • 1-6 白痴化か博知化か
    • 1-7 社会的異物としてのテレビ
    • 1-8 攻撃対象の変化──テレビからコンピュータへ
    • 1-9 ケータイとゲーム機
    • 1-10 「ラッダイト運動」の汎通性
    • 1-11 技術と社会的コンテクスト
    • 1-12 メディア論とは唯物史観である
    • 1-13 「技術」理解のセントラルドグマ
    • 1-14 近代的「技術」概念の土台としてのデカルト思想
    • 1-15 デカルト的技術の自己展開過程
    • 1-16 「職人」から「技術者」へ
    • 1-17 技術の全面化とメディア技術の登場
    • 1-18 「技術」に対する権利づけと反省
    • 1-19 生と技術──オルテガ
    • 1-20 制度としての技術──ゲーレン
    • 1-21 イデオロギーとしての技術──マルクーゼ、ハーバマス
    • 1-22 運動としての技術──エリュール
    • 1-23 「手段としての技術」から「配備=集立」へ──ハイデッガー
    • 1-24 デカルト的技術の「脱-構築」
    • 1-25 技術の二重性──テクノロジーとテクネー
    • 1-26 「技術」と「メディア技術」
    • 1-27 メディア技術から〈メディア〉へ
  • 第二章 マスメディアと最初の「情報社会」
  • 第三章 二重化された社会
  • 最終章 問題としての「情報社会」――権力と身体
    • 4-1 情報社会における二重性の恒常化
    • 4-2 新しい「権力」のかたち──「ユビキタス」と「iGod」
    • 4-3 包摂と排除
    • 4-4 脱領土化と再領土化
    • 4-5 時-空の「圧縮」か? 「再編」か?
    • 4-6 “空間” vs 「場所」
    • 4-7 「場所」の思想史
    • 4-8 「場所」と〈私〉
    • 4-9 「ネット・ワーク」における「物」と「者」の無差別
    • 4-10 人間の“脱領土化”と「潜在性」
    • 4-11 新しい“主体性”へ
    • 4-12 アクターとサイボーグ
    • 4-13 ポストヒューマン──存在の新次元
    • 4-14 身体としての“主体”
    • 4-15 「情報社会」から〈メディア〉へ