III コミュニケーション・メディアとしての所有/偶発性定式としての稀少性、注27。
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第五章 未開交換の社会学
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もっぱら実際的な側面からみても、未開共同体の交換の役割は、現代の産業社会での経済的フローと、まるでちがっている。経済全体にしめる互換活動の位置が同じではないからである。
- 現代の交換とくらべると、未開の状況では、互換活動は生産と大きくきりはなされていて、緊密に有機的な仕方で結合されていない。共同体をつうじての完成財の再分配には深くかかわっているけれども、生産手段の取得とはほとんどかかわっていないことが、未開の互換活動の典型的な特徴なのである。
- それは、食物が卓越した位置を占めていて、日々の産出が、大規模なテクノロジー的複合にも、複雑な分業にも依存していない経済の特性にほかならない。
- 世帯が生産単位であり、性による分業、年齢にもとつく権威、家族の必要にみあうだけの生産がおこなわれ、家族制集団が戦略資源に直接ちかづけるような、家族制生産様式の特性でもある。
- この特性はまた、収益統制権が生産資源の利用権と対になっていて、肩書きがあるから取引できるわけでも、能力があるから特権的な収入が必ずしもあるわけでもない、社会秩序のゆえでもある。
- さいごに、それはまた、主として親族制が秩序づけている社会の特性にほかならない
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- [相互性という]このスペクトルのような連続体の一方の極には、惜しみなく与える援助、日々の親族、友人、近隣関係での小規模な流通、マリノフスキーが《純粋な贈与》とよんだもの、返礼の公然たる要求など考えられもしないし、かえって非社交的なものとなる贈与、そうしたものが位置している。
- 他方の極には、利己的な強奪、グールドナーが《負の相互性》と表現した、目には目を式の同態復讐法…の原則にもとついて、ごまかしたり力つくで奪いあう横領が、位置している。
道徳的ないみで、一方が肯定的な極であり、他方が否定的な極であることは、いうまでもない。交換での物財の均衡は、この両極のあいだで、さまざまな漸次的移行をしめすだけではなく、両極の間隔はまた、社交性のひらきをも示している。相互性の両極間の距離とは、なかんずく、社会的な距離にほかならない。