|
|
訳者あとがき
原著で100ページにも及ぶ注は、序章の注を除いて省くことにした
第1章
- [09]「19世紀後期の法学者たちが、政治と切り離された法思想のシステムを構築しようと行った努力は、南北戦争前の一連の基本的矛盾を調整することによって、法を脱政治化するための法的分類の構造を生み出した。この分類の構造について、以下論ずる。」
- [16] 「だが、多くの法分野に見られるように、体系化は、従来、分野を区切ることによって表面化するのを防いでいたさまざまな矛盾を、直接、表に出す作用をした。」
- [16] 19世紀後期の法思想の最大の特色は、中立的で富の再配分をしない州(国家)という理想の追求だよ。
- [17]「19世紀後期の形式主義的法思想は、「法中心的」心性の結実した結果である。法を中心に考えるアプローチは17世紀および18世紀のイギリスの憲法思想の中で生まれ、自由主義的政治理論と独立革命後のアメリカの法思想の中でさらに洗練された。それは一連の二分法、すなわち手段と目的、手続きと実体、そして過程と結果の区別によって特色づけられる。相争う目的が競合する世界では、一致した目的という合意がなくとも共有できる過程や原則を求めることが必要となる。このような思考の枠組みの中で、法は決定的な役割を果たした。法的概念が中立的なら、事案の実体的な問題にふれることなく、それを紛争解決のために利用することが可能となる。かくして、19世紀後期よりもずっと以前から、法の支配の理想は、「結果志向的」または結果主義的な法思想に反対するものとして存在していたのである。」
- [19] 「カテゴリーに対する態度ほど、19世紀アメリカの典型的法律家の思考と20世紀の法律家とを明確に分かつものはない。19世紀の法思想は圧倒的に分類的思考によっていた。」
- [20]「20世紀初頭の法思想の課題は、このような分類的法思考を形式的であるとか人工的だといって攻撃することに費やされた。」
- [21] 「「夜警国家」という考え方は、最初アメリカでは、マディソンの「フェデラリスト(ペーパーズ)」第10号でその概要が説明され、19世紀には、中立的国家という自由主義的見解として広く受け入れられた。」
でもこの考えが実際に浸透するにはかなり時間がかかったと。
- [26]「州が債務者を保護し、富を平等化する道具として利用されるかもしれないという、伝統的な保守主義者の恐れは、かくして、州が会社の利益によって乗っ取られるかもしれないとする新ジャクソン派の懸念と合致した。これら二種類の恐れが相俟って、1850年以後の自由放任主義のイデオロギーを生み出したことは重要である。」
- [30]「より一般的に言えば、富の再配分禁止が、19世紀の自由主義的国家の中心的性格の一つとされていた。この考えが徐々に正当性の構造にまで波及していくにつれて、日常的な法の諸前提にまで、それが影響するようになる。憲法上の枠組みとしてこのような命題が表現されるだけでなくて、法理の複雑な構造の中にまで組み入れられていく。公法と私法の区分の生成も、富の再配分の危険を免れる私的な領域の確保という努力の一つの重要な例である。」