- 作者:ギルバート,G.ナイジェル,マルケイ,マイケル
- メディア: 単行本
著者が原著を公開している。
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第9章における本書の作業まとめ
7章のまとめだけが異様に長い。
第3〜5章について
- 337 第3章「科学者たちがその行為と信念を異なる社会的文脈において解釈するときは別の解釈形式を使用することを我々は十分に示したと信じる。我々は、経験主義的レパートリーと偶然的レパートリーとという概念を工夫することによって、これらの解釈形式の様々な重要な面を捕らえようと試みたのである。」
- 338 第4章「われわれは、誤謬と正しい信念とのアシンメトリーな説明を構成するための資源としてこの二つのレパートリーを参加者たちが使用しているのを示した。」
- 338 第5章「さらに、インタビュー懇談における二つのレパートリーの相互浸透が解釈問題をときどき生じさせることが明らかになった(これは「真理は工夫によって現れる」の導入によって解決される)。」
それゆえ、本書の前半で、我々の分析は、科学者たちが解釈多様性を創作しうる基底である二つの基礎的レジスターを暴露することにおいて、またこれらのレジスターが科学の主要な解釈文脈を形成する手段となる仕方を示すことにおいて、また科学者たちの実際の説明作業に含まれる主要原理を幾つか確認することにおいて、有用であることが判明した。行為と信念についての参加者たちの実際の説明はきわめて多様であるけれども、それらは繰り返し現れる解釈形式と解釈レパートリー──…──とから構成されていることを、はっきり示すことができたのである。
第6〜8章について
これらの基礎的結論を確立してしまうと、われわれはただちにいっそう複雑な新しい研究主題へと進んだ。そして、談話分析は小規模な社会現象の領域に限定されないことを示した。
- 338 第6章「集合現象であるはずの認知的合意に我々は焦点を合わせた。」
- 「合意を、社会的集合体の潜在的に測定可能な属性であるとみることは、分析的には誤りを導くものであると我々は主張した。そのような方向の社会学的分析は、参加者たちが生み出した特殊的で、文脈的に作成された解釈を実在であるかのようにするのに役立つだけである。」
- 一定の時点で一定の集合体が根本的に異なる「合意の程度」を示しているとされることがあることを、参加者たちの解釈作業の検討ははっきりと示した。それゆえ我々は、文脈に関連する方法──これによって参加者たちは集合的信念を合意できるもの、またはそうでないものと解釈する──へ分析的注意を向けねばならないことを示唆したのである。」
- このようなアプローチは、科学における集合現象に今まで適用されたことはなかったにしろ、社会生活の他の分野における社会的集合体の解釈的分析の一群の成果に基づけられてきたことはいうまでもない2。」
- 339 第7章「我々の次の一歩は、今までの慣例的な社会学的アプローチの範囲外に置かれてきた型のデータをも含むように分析を拡大することであった。」
- 「まず第一に、テキストやインタビュー記事にすでに適用されているのと同種の分析が説明図的談話にも広く適用されることを示して、これを行った。とくに、科学的知識=要求の説明図的解釈は、解釈文脈の間を移動するのに応じて、規則的に変化することが明らかになった。」
340-341 二段落+をまるごと引用しておく:
この説明図分析は、説明図についての科学者たち自身の解釈の検討を通じて、言葉的談話についてのわれわれの最初の考察と連結されたのである。科学者たちの解釈は、彼らが行為と信念を描くのに使用した経験主義的・偶然的レパートリーとぴったり並行する説明図的表示の実在主義的・虚構主義的概念に依存していること、をわれわれは見出した。しかしながら、説明図についての彼らの談話は、性格上圧倒的に虚構主義的であった。しかし、一つのきわだった例外は、われわれのデータでは、学生および一般向けのものといわれる説明図についての彼らの懇談の中にあった。このような説明図はいっそう実在主義的な仕方で構成されねばならない、と彼らは強調した、そして、このような説明図についてのわれわれの検討が示したように、それらは専門家の間に流布しているのとはしばしば別のものであつたし、またそれらは通常の対象の日常的表現の領域から借りられたいっそう「実在主義的な」視覚的構成要素をしばしば含んでいた。また、説明図についての懇談において科学者たちが虚構主義的レパートリーと実在主義的レパートリーとを使用し、両者の間を移動することが、行為と信念についての経験主義的談話と偶然的談話との間の転移において現われる問題とよく似た解釈問題をしばしば造り出していることが明らかになった。
これらの解釈問題の中で最も明白なものである「Trubshawのジレンマ」は、説明図についての科学者たちの虚構主義的説明と、学生にはいっそう実在主義的な説明図が適しているという彼らの要求とを統一することの困難から生じたのである。この解釈問題は説明図についての回答者たちの反省的懇談に限られるのではないこと、このジレンマは視覚的領域自体においてしばしば現われること、が示された.この主張は,ある種の視覚的ジョーク──そこでは、「まじめに受けとられるべきではない」構成要素が、全く別の談話分野からの説明図的諸資源によって、ユーモラスに表示されている──を検査することによって強力に根拠づけられた。この種の視覚的ジョークが、検討中の知識=要求の構成要素に付与される「実在性の程度」への明晰な指針を与えるように組織されることによって、Trubshawのジレンマを解決するように思われるのである。
これがジョークの研究につながる。
- 341 第8章「われわれはそれら[ジョーク]を、参加者たちの潜在的な解釈多様性が明らかに暴露される談話形式であると考えた。それゆえ、われわれはそれらを今までの結論へのチェックとして使用した。そして科学者社会の内部で広く流布しているジョークを選出し、それらを使って、われわれの研究成果の少なくとも幾つかは一般に科学者たちの間で自然に行なわれている談話に適合するものであることを示したのである。」
- 341-342 標準的社会学と談話分析の対比ふたたび:
- 研究行為についての伝統的形式の社会学的分析は参加者たちの談話から説明なしに導かれている
- 談話分析は行為と信念との分析への必然的導入おそらくはその補足である
タイトルに関するメモ
パンドラの箱を開けると、①「災厄が飛び出す」が、あとには②「希望も残る」。
本書において①②に相当するのは何か。
- i. 「①災厄」に一番近いところにあるのは「混沌」(?)。
- ii. 「混沌」が指しているのは、科学者が言うことがバラバラだといったこと。
- iii. 「②あとに残る希望」にあたるのは、「それでも規則性を見分けることはできる」といったこと。
問題は ii。科学者が言うことがバラバラであることは、誰にとってどういう意味で「混沌(~災厄?)」なのか。
第1章「研究主題としての科学者の談話」Scientists' discourse as a topic
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第9章「パンドラの遺したもの」 Pandora's bequest
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引用
序
- 8
我々は、
- 我々が[生化学者たちに]聞かされた説明が持つ多様性は、方法論上の難点になるものではなく、
- 我々の分析において我々が活用しなければならない本質的な特性であることを認めるという仕方で、
この多様性を扱う方法を学ばねばならなかった。「パンドラの箱」とは、我々に語りかける相互に相反する諸意見の比喩的表現である。しかし[後論においては]、この諸意見の多様性のなかに秩序が発見されたことが示されるだろう。
第1章 研究主題としての科学者の談話
このタイトルは「科学者の談話を単なる資源としてだけではなくトピックとしても扱う」という方針表明。
1-1 パンドラの箱の中身
- 冒頭の二段落は、マルケイたちがどんなものを──彼らが自分たちをそこから区別しようとしているところの──「普通の社会学」だと考えているのかを記している。この箇所こそが分析される必要がある。
- 10 パンドラの箱を開けるのは、「科学についての今までの社会学的研究の幾つかの方法論的・分析的弱点を指摘するため」だ、と述べている。なので、科学がパンドラの箱であるのは、まずはなにより旧来の社会学における方針や目標に対してだ──と言っていることになる。
- 10 「すなわちパンドラの箱とその不協和な中身は、科学者の行為と信念についての説明の異常なほどの多様さの比喩的表現として用いられている」
したがって、ここでいう「旧来の社会学」とは、研究領域における行為や信念が多様だと困るタイプのそれだということになる。 - 普通の社会学者のやろうとしているのは「to tell the story of a particular social setting or to formulate the way in which social life operates」だ、と。この試みは間違っていると言っている。
- 11 立てるべき問いは「どれが社会生活についての最善の説明か」ではなく「なぜ科学者はこんなにも多様でありうるのか」。
1-2 科学における社会的行為の分析
- 研究領域が被っているのにマルケイたちと全然違う方向を向いている例:Marlan Blissett, Politics in Science, Boston: Little, Brown and Co, 1972.
https://archive.org/details/politicsinscienc0000blis
マルケイたちが「社会学の普通の説明スタイル」だとみなしているものの検討。ここは要再読。
- 14 マルケイたちとブリセットでは、まず論争に注目している点が共通している。でもアプローチが全然違う。
ブリセットにとって重要なのは「科学者たちの論争はエビデンスだけに訴えることによって決着がつくようには見えない」こと。 - 16 マルケイたちによる「ザ・社会学」の仕事術まとめ:
①自然な状況において参与者たちを観察し、彼らの言うことを聞いて、または彼らにインタビューして、言明を得る
②これらの言明の間の大まかな類似を求める
③もししばしば生じる類似があれば、これらの言明を額面通りに──すなわち実際に起こっていることの正確な説明として──受け取る
④起こっていることについての参与者たちの諸説明についての一般的な解釈を構成し、それを自分自身の分析理論として提示する - 17 こうした仕事における分析者(=社会学者)の貢献:
①参与者たちの特殊な見解をより一般的な概念にまとめあげる
②特殊な研究者または研究行為についての言明を研究者の集団全体と社会的行為の全種類とへ一般化する
③研究中の分野の社会生活のなかで起こっている重要な社会過程を正確に表現するとみなされるべき場面を参与者の談話のなかから見分ける(他のものは無視するか不正確なものとする)
1-4 直接的観察と参加者の談話
- 22 「as a diverse potentiality of acts which can be realised in different ways through participants' production of different interpretations in different social contexts.」
1-6 談話分析
- 30「参与者の談話を資源としてではなく研究主題として扱う it treats participants' discourse as a topic instead of a resource」
談話を研究の資源として扱わないことはできないのだから、「資源としてだけではなく話題としても扱う」と述べていただきたい。
2-2 この歴史の別解釈
- 68 酸化的リン酸化研究におけるダビデとゴリアテ風テーマ
「この研究領域は、極めて大規模で極めて基金の豊富な米国の三研究所に支配されていた。これらの研究所の所長は、尊大で自信過剰で、酸化的リン酸化の問題を最初に解決するのは自分だであると決めていた。彼らの間の競争はまことに熾烈であったので、彼らの助手たちは詐欺的な主張をするように、また科学ミーティングで目立つ辛辣な論駁をするように圧力をかけられ、そのためにこの研究領域全体が悪評を受けはじめた。しかし「ダビデ」、英国出身の科学者がこれらの「ゴリアテ」に独力で立ち向かい、彼らに対して20年近くも戦い、彼を打ち負かそうとする彼らのあらゆる試みに抵抗して、ゴリアテの暴虐にも屈せず、ついに問題を解決し、ノーベル賞を得たのである。」
第3章 科学談話の文脈
- 79 実験論文のフォーマット:①概要、②序、③方法と材料、④結果、⑤討論
3-3 「方法」項目における社会的説明
- 101 実験論文の方法の項では、「研究結果に関係する行為すべてが即物的規則として表現されうるかのように、また研究者の個人的特性は研究結果の作成に無関係であるかのように、またこれらの規則の特殊的研究行為への適用はなんの疑いもないかのように、またそれゆえに同価値の観察結果の再現は有能な科学者が規則に従って行えば容易に得ることができるかのように、公式的に構成されている」が、しかしこれらはすべて、科学者とのインタビューにおいては、科学者自身によって否定される。
この研究が面白いのは、著名な論文を科学者たちに読ませて批判的に解説させてるところ。それによって、この社会学者たちは、
- 科学に対する批判を自分たちでは行わない
ということと、
- 科学者たちには科学の公式的ビジョンを批判的に検討する能力があることを示す
ということ、そして、
- 科学者たちが論文を書くときに、自分たちが実際にやっていることとはかけ離れた描像をどのように作り上げるかの手法を示す
といったことが可能になっている。
3-4 経験主義的レパートリーと偶然的レパートリー
- 106 テーゼ:実験科学者は、論文においては経験主義的レパートリーを用い、談話においては偶然的レパートリーを用いる。
文献
1-1 パンドラの箱の中身
- 注4 John Heritage, 'Aspects of the flexibilities of natural language use: a reply to Phillips', Sociology, vol.12, 1978, pp 79-103.
1-3 参加者の談話の文脈依存性
- 注15にグッドマン『芸術の言語』
- 「Gilbert+Mulkay+談話分析」の検索結果
佐藤哲彦(2017)「逸脱研究の論点とその探求可能性:ディスコース分析をめぐって」社会学評論 68(1), 87-101, 2017, 日本社会学会.
https://ci.nii.ac.jp/naid/130007386154