読書会用。
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原著 |
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第五章 大共同社会の探究
今回は第五章を担当することになりました。(数値は行数)
5-01 観念としての民主主義と政治的行動様式としての民主主義 | 17 |
5-02 大共同社会の問題 | 19 |
5-03 民主主義的理想の意味 | 16 |
5-04 民主主義と共同社会的生活 | 32 |
5-05 共同社会と協働的活動 | 22 |
5-06 コミュニケーションと共同社会 | 58 |
5-07 大共同社会の知的条件 | 36 |
5-08 慣習と知性 | 110 |
5-09 科学と知識 | 60 |
5-10 社会的探究に対する障害 | 72 |
5-11 社会的探究の孤立化 | 43 |
5-12 純粋科学と応用科学 | 54 |
5-13 コミュニケーションと世論 | 91 |
5-14 知識の普及の限界 | 27 |
5-15 芸術としてのコミュニケーション | 38 |
作業の定式化・課題の提示をおこなっている箇所
- 課題の提示は 1節、7節、15節(←最終節) の三回行われている。つまりこの章は7節で二分されている(1-6 / 7-15)。
- 前半部のテーマ的な流れ~繋がりは、民主主義 → 共同生活 → 協働 → コミュニケーション → 知識。
- それを踏まえて後半部では知識(と民主主義との関係)について論じている。
5-01 観念としての民主主義と政治的行動様式としての民主主義
- [183]
「それゆえ、われわれは民主主義の政治形態について当を得た改良策を勧告することに関心を持っているのではない。… 課題はより深いところにある。それは何よりもまず、「大社会」が「大コミュニティ」になりうる条件の探究という知的課題なのである。こうした条件が実現される場合には、それは自分自身の形態を作り上げるであろう。諸条件が具体化するまでは、どのような政治機構がそれら諸条件に適合するかを考えることは徒労に近いことなのである。」
5-02 大共同社会の問題
- [184] 節冒頭。
「現存する未完成な公衆が民王主義的に機能しうる条件を探究する[際には、われわれは民主主義の観念の持つ性質をその一般的社会的意味において明らかにすることから始めてよいであろう。]」
5-07 大共同社会の知的条件
- [194]
「これが、課題は倫理的なものであり、知性と教育とに依存しているという主張の意味である。」
- [195]
「こうした一見脱線ともみえる迂路を経て、われわれは前に述べた議論の中心であった問題に到達した。すなわち、「大社会」が「大共同社会」の位置により厳密にまたより実質的に接近し、それによって真に民主的な社会と国家とを形成することのできる諸条件とは何か。失われた状態から回復してくる「公衆」を、われわれが合理的に想像しうる諸条件とは何か。」
- どこからどこまでを「脱線=迂路」と呼んでいるのか。
- なぜそれは「脱線」に見えるのか。
- [196] 7節最後の段落全文。
- 以下の研究は、知的なあるいは仮説的なものとなるであろう。
- 必要とされる諸条件がいかにして存在することになるかを述べたり、それらが生ずるであろうと予言したりする企てはここではなされないであろう。
- 分析の目的は、確認された事項が実現されなければ、「共同社会」は民主的に実効性を持ち「公衆」としては組織されえないということを示すのではなく、
- ただそれらは少なくとも不可欠なものだと主張されるのである。
- 言葉を換えて言えば、われわれは事態の推移によって無効になった以前の教義と対照しつつ、樹立すべき民主主義国家に関する仮説を作り上げるために努力するであろう。
5-15 芸術としてのコミュニケーション
- [227]
「「大社会」が「大共同社会」になるために満たされなければならない諸条件については、われわれは軽く触れただけで通り過ぎてしまった。」