エルスター(1983)『酸っぱいブドウ』第1章「合理性」




第一章 合理性 001

  • 1. はじめに 001
  • 2. 個人的合理性――薄い理論 003
  • 3. 個人的合理性――広い理論 023
  • 4. 集合的合理性――薄い理論 040
  • 5. 集合的合理性──広い理論 050


1. はじめに

  • [01] 私はまず、個人的な行為の形式的な特徴としての合理性に焦点を当てるところから始める(第2節)。そこから、ロールズの同様の用語法に従って、私が合理性の薄い理論と呼ぶものを提供しよう。
  • [02] 個人的な合理性の広い理論は、こうした形式的な諸要請を越えていく(第3節)。ここで合理性は、整合的な信念や欲求に基づいて整合的に行為すること以上のものを含む。
  • [02] 合理性の概念は別の方向にも、すなわち個人的なケースから集合的なケースヘも拡張可能である。ここでも再び、私はより形式的な考察から〔すなわち薄い理論から〕始めたい(第4節)。
  • [02] 集合的合理性についてのより広い理論(第5節)は、個人の選好を個人的合理性の広い概念に従わせるための、社会システムあるいは集合的決定メカニズムの能力にも目を配らなければならないだろう。この意味で集合的に合理的な取り決めとは、自律的な欲望を育んだり、あるいは非自律的な欲望を濾過して排除することが可能であったりするもののことである。
  • [03] 本章において私は合理性に関心を向けるが、後の章では非合理性に関心を移す。

[合理性/非合理性という]これら二つの概念間の関係を見る一つの方法は、次のようなものである。合理性は行為者になすべきことを教える――もし彼がそれとは別の行動を取ったならば、彼は非合理的である。私はこの見解に反論しようと思う。多くの場合において、合理性は――薄いものであれ広いものであれ――特定の選択肢を排除する以上のことはできず、そこで残った選択肢の間での選択についてはいかなる指針も示さない。もしそのような場合における行動を説明しようとするならば、合理性についての仮定に加えて、因果的な考察にも訴えなければならない。実際、もしわれわれが広い意味での合理性を要求する場合には、このことは例外ではなく規則となる、ということを私は以下で論じるつもりである。

2. 個人的合理性――薄い理論

※[01] 個人的行為の形式的な特徴としての合理性。全29段落

  • 【まえおき】[01-05]
  • 【本論の開始】:[06]「はじめに ①信念の整合性の基準 について議論し、次にそれよりいくぶん広い幅をもって ②欲求〔の整合性の基準〕 について論じよう。」
    • [07-09] ①信念の整合性の基準
    • [10-22] ①欲求の整合性の基準
      ※ [10] で〈選好/計画〉の区別が導入される
      • [12-19] 選好に対する整合性の基準
      • [20-22] 計画に対する整合性の基準
  • 【付記の開始】:[23]「合理的な行動という概念の曖味さに関する──とりわけ 私の欲求を実現するための一つの方法 としての行為 と 最善の方法 としての行為との間の区別にかかわる──いくつかの注意を述べることで本節をしめくくろう。」
    • [29]「私は最適性が破綻する三つのケースに言及してきた ―― [1] 行儀の悪い機会集合、[2] 不確実性の下での意思決定、そして [3] 解を持たないゲームである。」 「これらは〔最適化ではなく〕充足化を支持する特別な議論(…)を提供するものである」

3. 個人的合理性――広い理論

※[02] こうした形式的な諸要請を越えて、整合的な信念や欲求に基づいて整合的に行為すること以上のものを含む個人的な合理性の広い理論

4. 集合的合理性――薄い理論

※[02] 合理性の概念を集合的なケースヘ拡張する。

5. 集合的合理性──広い理論

※[02] 個人の選好を個人的合理性の広い概念に従わせるための社会システムあるいは集合的決定メカニズムの能力にも目を配った、集合的合理性についてのより広い理論