「現象学と社会システム理論」で2400字。
三谷訳。
- 1963 ニクラス・ルーマン「比較行政学の展望」
Einbllcke in Vergleichende Verwaltungswissenschaft, Der Staat 2 (1963), pp. 494-500
下記論文集の書評。全20段落。
- Heady, Ferrel and Sybil L. Stokes, 1962, Papers in Comparative Public Administration, Institute of Public Administration, University of Michigan
- [01]「合理的決定理論と、公式課題から離れた予期せぬ結果や潜在的システム構造に対する社会学的関心の間に、どういう道を見つけることができるだろうか。これら二つの墓穴の間を縫っていけるような道は存在するのだろうか。」
- [13]「この論文集を読んでもう一つ気になるのは、では比較的方法とそうでないものを分ける境界はどこにあるか、つまり比較を比較たらしめる固有の特徴とは何であるか、という点である。先に、カテゴリー分けや類型分けそれ自体を比較と称する傾向があることについては触れておいたが、外国の制度を論じているというだけで、実際には個別の行政システムの研究にすぎないものが比較科学の旗の下に進められるというのも、やはり別の意味で、方法的主導思考の濫用である。米国人がタイについて書くのとタイ人がタイについて書くのとで、決定的な違いなどあるはずがないからである。」
- [14]「ここは厳密に、実際に比較を試みている研究だけを比較科学と呼ぶべきである。しかし、せっかく一緒にやりたいといっている人を冷たく排除してしまうのは米国人らしくない。比較思考というのをとりあえずいろいろなものを含む標語だと考えることにすれば、タイ官僚制の人事管理に関するSiffin論文も、この論文自体は比較を行っているわけではないが、何かしら読んで得るものはあるだろう。そして結局は、その利得は比較が可能になるという点にこそあるということも気づかれるだろう。」
- [15]「もちろん彼の研究も、純粋に記述的な方法では不可能であった。ここでも、分析を主導し、結論に比較可能性を与えているのは、ある程度抽象的な問題観点なのである。タイの官僚制では、役人間に確固としたハイアラーキがあって、それが動機づけや職務配分の原理として使われている。役人は昇進コースを垂直に昇っていくだけで、まったく異なる職種への水平移動はない。昇進できるかどうかは、上司に評価されているか、気に入られているかどうかで決まる。」
- [16]「米国の組織科学では普通、この種の社会的システムでは、個人は重大な緊張、負荷、行動上の困難を強いられるはずだと考える。ところがタイの官僚制で見られるのは調和的な秩序で、人々は満足しているように見える。これはなぜか。Siffinは、官僚制の一員であることの社会的威信が高いこと、および仕事の負担が比較的小さいことを、回答として挙げている。これらの条件は、タイの官僚制システムは完全な職務指向ではなく、同時に成員指向でもあることを示唆している。つまり、タイの官僚制は、
- 特定目的に向けた合理化、すなわち行政サーヴィスの受け手の利益を第一に組織されているのではなく、同程度に
- 成員の自己扶助のシステムでもあるのである。
だから、西洋の産業国家における組織研究でこれまで発見されてきたような、公式組織(上司によって定義される目的参照的な組織)と非公式組織(同僚間の私的な組織)の明確な分離は見られない。タイの官僚制は、上司との関係が公式であると同時に非公式であるような混合形態を発達させることに成功しているのである。」
- [17]「おそらくこのようなまとめ方では、Siffinが描いている細部がかなり見落とされてしまっているだろう。しかしそのような読み方をしてこそ、この論文の比較上の意味を、誰も否定できないような形で引き出すことが可能になるのである。つまり、
- (a) ある行政秩序について、それがシステムとして解決しなければならない問題を示し、
- (b) その問題が別の行政においても解決を要する類のものであることを指摘する場合
には、つねにその種の比較が可能になるのである。 - (c) そうやって見つかる複数の解は互いに異なっていて、またまったく異なる副次問題を引き起こす可能性がある。この副次問題同士を直接比較することはできないが、どういう解がどういう結果を引き起こすかについての知見は、
- (d) 一般的な問題を立てた上で、個々の戦略について、それがどういう副次問題を引き起こすか、それに対してどのような二次解決が与えられるか、最終的に行動上にどのような困難が生じるかといったことをすべてあわせて比較する、包括的な比較の一部となるものである。