新明正道(1967)『社会学的機能主義』

現象学と社会システム理論」で2400字。


  • 第一章 社会学的機能主義の成立とその一般的動向 001
  • 第二章 社会学的機能主義における社会体系の概念 043
  • 第三章 社会学的機能主義における機能的分析の概念 079
  • 第四章 社会変動の問題と社会学的機能主義 141
  • 第五章 社会学における行為理論と社会学的機能主義 215
  • 附録一 社会体系の概念について 263
  • 附録二 機能の概念について 287
  • 附録三 ヴィルフレド・パレート 305

第一章 社会学的機能主義の成立とその一般的動向

  • [006] キングスレイ・デーヴィス(1959)「彼はこの主張を基礎づけるために社会学的分析の一般的特徴が「社会の諸部分を全体に関係させ、一つの部分を他に関係させる」にあるとみなし、いわゆる機能的分析も結局実質的にはこれと同一の視野をもって社会を研究するものと見ているが、この規定をもってしては社会学的分析があまりにも一般的かつ自明的なものに帰着するだけでなく、ついには機能的分析そのものの特性もまた見失なわれてしまうことになる。」

  • [014]「しかし機能主義という用語そのものは、かならずしも今日アメリカの社会学的機能主義によってはじめて創造されたものでなく、それは用語としては、二十世紀の初頭からすでに慣用されていたものである。そして当時においては、機能主義は十九世紀の終りから二十世紀の二、三十年代にかけてヨーロッパからアメリカにひろがり、一時は世界を風靡する勢をしめした思想と運動の一様式を意味していたものであった。もちろんこれは今日の社会学的機能主義と名称においては同一であっても、その意味内容においては全く異なっていたものであって、これを実質的に後者の先駆者と見ることはできないが、名称的にはこれに先行しており、この意味において、それが機能主義として歴史的に本源的な意義をもっていたことは事実である。そしてカッレンが1921年セリグマンの「社会科学百科辞典」のなかの「機能主義」の項目で執筆の対象としたものは、まさしくこの本源的機能主義にはかならなかったものである。
     彼はこの機能主義をもって、十九世紀の最後の四半世紀期に出現し、その後次第に有力化してきた科学的思考の一様式であり、本来これはダーヴィン主義が人間科学に与えた衝撃の多様なさまざまの結果を、もっとも一般的に要約した意味をもつものと解し、その特徴を「名辞と実体に対して庚係と活動を、内在的特質に対して発生と発展を、継続的形式に対して変形を、静的組織に対して動的形象を、不変的要素からなる形式的構成物に対して闘争と統合の過程を強調すること、一言をもってすると、科学的説明と解釈の主要な手段として構造から機能へ推移すること」にあると規定している。彼はこれに属するものとしては、哲学ではプラグマチズム、ひいてはベルグソン、ドリーシュ、マルクス、心理学では心を意識の流れと見たジェームズ、経済学では制度主義を採用したヴェブレン、人類学では文化の起源、段階、発展法則よりもその機能の認知を重視したマリノウスキー、法学では法律の原理を機能的な経済的または社会的状況に適応させようとしたパウンド、ルーウェリン、ハミルトン、モーア等を挙げ、さらにその影響は思想界を越えてギルド社会主義、サンジカリズム、共産主義ファシズムのような機能的活動を重視する社会革新の諸運動にまで及んでいると主張している。
     彼の見るところでは、これまで一般に実体または構造が第一次的なもの、活動または機能が第二次的なものと考えられて来たのに反して、この立場では、これまで固定的な構造または形式との関連において、従属変数的に規定さるべきものとして処理されてきた機能または活動が本源的な独立変数と見られており、構造または形式は機能の作用と持続から派生した結果として第二義的な地位に引き下げられている。この意味において機能主義は、本来固定的な実体を重視するヽ潤溜祠想硼瘤罰司瓢日対翻剌劇HF して生まれてきたものであって、おのずからその目標とするところは、その批判的解消にあったものと解することができるのである。」
  • [017]「 カッレン自身は、本源的機能主義の代表的な事例を展望するにあたって、社会学におけるその傾向にまで言及していないが、十九世紀の終りから二十世紀のはじめにかけて、哲学や心理学の領域に機能主義の傾向が顕著にされた頃には、社会学の領域でも、実はこれと同一の傾向が出現していたものであって、これは当時社会学者のなかに社会有機体論に内在していた社会実在論に反対して、社会を活動的・過程的なもの、この意味において機能的なものとして見ようとする傾向がが有力化していた事実によっても確認されるところである。そのもっとも有力な代表者はジンメルであって、彼は1890年「社会的分化論」のなかで「社会精神をその参与者の相互作用の合計に分解することは、近代の精神生活一般の方向すなわち不動的なもの、不変的なもの、実体的なものを、機能、力、運動へ分解させ、すべての存在のなかにその生成の歴史的過程を認識しようとする方向と一致している。諸部分の相互作用が私たちの社会と呼ぶもののなかにおこなわれていることは、だれも否定しないであろう」といって、明らかに機能主義的な立場を打ち出している。この傾向はその後フォン・ウイーゼによっても受け継がれており、彼は1924年「一般社会学」第一部のなかで、この見地を強調して「社会はまったく動詞的な概念であり、生成である。存在するものは社会態(Vergesellshcftung)だけである。社会(Gesellschaft)という言葉は、使用の便宜上これを短縮したものにはかならない」といっている。」

  • [036]「機能の概念が今日のように活動を表示する意味を失って、活動の客観的な結果を意味するようになったのは、デュルケーム1893年『社会分業論』のなかで機能をこの意味に規定してから以後のことであって、今日の社会学的機能主義の代表者たちが、機能をもって全体としての社会のなかでその部分が全体の秩序を維持するために寄与する関連的な結果を意味するものと解するようになった、そもそもの根源もここに見出すことができるのである。」

附録二 機能の概念について

  • [291-293]「しかしこの意味における機能の概念は、機能を構造と対置された活動そのものとしてではなく、その動因ないし結果との関連において規定しようとする傾向が有力化するにしたがって、次第に第二義視せられるようになり、この状況は、社会学ならびに人類学において、機能的分析が新しく社会考察の方法として橿頭するに及んで一段と顕著にされて来たところである。
     この変化をもっともよく象徴しているものは、デュルケームの機能の概念である。彼は「社会分業論」のなかで、分業の機能を検討するにあたって「機能という言葉は二つの異なった意味に用いられている。それはある場合には、生命的運動の全部をその結果を度外視して意味し、またある場合には、この運動と有機体のなんらかの欲求との間に存在する対応関係を説明している」といって、機能に二つの重要な区別さるべき意味があることに注意している。彼は単に消化機能、呼吸機能などと呼ばれる場合を前者の例、消化が液体や固体の物質を有機体に吸収して有機体の消耗を回復することを機能としているとか、呼吸が動物の肉体組織に、その生命に必要な瓦斯を誘導することをもって機能とするとか、いわれる場合を後者の例としている。彼は一おう機能の意味をこのように二つに区別してから、彼が分業の機能を問題とする場合、この機能の意味するところが第二の意味であることを明らかにし、したがって分業の機能とは、分業的活動そのものではなく、分業が社会のいかなる欲求に対応しているかという関係を意味するものと決定している。
     彼のこの機能の概念において注目すべきことは、これまで社会学者によって慣用されて来た生活そのものとしての機能の概念が斥けられ、これに代って活動としての機能がそれ以外のもの、彼の場合には欲求と結びつけられ、その対応的関係が機能の概念の中心をなすものと強調されていることである。彼は機能の用語を選択した理由としては、目的とか対象とかいう他の用語がすべて不正確であるからであるといっているが、何故彼が機能を活動そのものと解さないで、これをその欲求との対応的関係と解したかについては説明を与えていない。しかし彼が同書の第二版の序文のなかで、なお第一の意味において経済的、軍事的、行政的、宗教的諸機能について説きながら、あえて第二の意味に機能の概念を決定したことは、機能の解釈において、一面対応的関係を中心とした見方が当時すでに有力化して来たことを物語っているが、彼自身この解釈を強く打ち出すことによって、第二の意味における機能の概念が一層広く普及される契機を与えたこともまた事実である。ラドクリッフ・プラウンは、直接デュルケームの影響のもとで彼の機能の概念を形成したが、デュルケームとは個人と社会との関係について全く反対の個人主義的な立場を採用したマリノウスキーにしても、機能を欲求との関連において規定した点ではデュルケームと揆を一にしており、彼もまた間接的にはデュルケームの感化を受けている。」