お応え2(未遂)

teratsuさんから再度のコメントをいただきました。ありがとうございます。http://d.hatena.ne.jp/teratsu/20040505#p5

すぐに回答ができそうにないので、とりあえず「読みました」ということ と お礼だけでも記しておきます。
ところで「ライティング・カルチャー・ショック」というのは、「『文化を書く』が与えたショック」のことだったんですね。カタカナで書かれたらわからなかった(^_^)。(writing culture shock って文の体をなしてないなぁ、とか思ってたりしたわけでw。ご教示ありがとうございました。)


ところで、一つだけ、簡単な質問を。

あとホーベルの研究を一次資料としてみるか、二次資料としてみるかが、どっちが正しいと言うのでもなく、contractioさんと僕との「ズレ」なのだとおもいます。

この意味がわかりませんでした。もう少し敷衍していただけるとありがたいです。

    • なにしろ50年前の文献でもあり、私としては「歴史的資料」として、この本を読みました。その意味では、たぶん「一次資料として扱っている」ことになるかと思います。
    • 他方、ホーベルの議論は、他人の出版物──自分の資料も*1含まれますが──へのコメンタリーである第2部を、(抽象度が低いとはいえ)「理論的考察」といえる第1部&第3部で挟む という構成からして明白に「二次資料」として自己呈示している著作であり、私もやはりそのつもりで読みました。

*1:特に、第7章「コマンチ・カイオワ・シャイアン」。