(20040717) 熊野純彦トークセッション「思考の文体とその力:廣松渉の軌跡に寄せて」


ジュンク堂書店池袋本店「JUNKU 連続トークセッション」

思考の文体とその力:廣松渉の軌跡に寄せて 熊野純彦

このようなかたちで廣松渉について語ることは、おそらく二度とないだろう。私なりの思考の痕跡をなお書きのこしてゆくことが、廣松がしめした〈倫理〉のかたちに応える、ほんらいのみちすじであると、いまはかんがえている。(「あとがき」より)
 人間のあり方や世界のあり方を解きほぐすために、孤絶な闘いを生きた稀有な哲学者・廣松渉。かれが逝去して、すでに10年が経ったいま、廣松哲学とはなんであり、現在なにでありうるか。20年近くにわたり、親しくその謦咳に接してきた著者が、その問いに真摯に向かう。まるで、それは同時に、この国の戦後という時代に展開された、ある思考の可能性をたどることにもなるはずである。

廣松が、こんなにも簡単に消費され・忘れられてしまわないためにどうすればよかったか ──といえば、(私が思いつくそのもっとも簡単な)答えは、もっと難しく書けばよかった、だと思う。でもそれは、啓蒙思想家であることを裏切ることになるのだから、そんなことは不可能だったのである。
なので、事態が現状のようになってしまったことは──切ないことではあるが──、いたし方のないことだったのではないだろうか。
いいじゃないか。革命(家)だもの。
戦後思想の一断面―哲学者廣松渉の軌跡

戦後思想の一断面―哲学者廣松渉の軌跡