廣松が、こんなにも簡単に消費され・忘れられてしまわないためにどうすればよかったか ──といえば、(私が思いつくそのもっとも簡単な)答えは、もっと難しく書けばよかった、だと思う。でもそれは、啓蒙思想家であることを裏切ることになるのだから、そんなことは不可能だったのである。
ジュンク堂書店池袋本店「JUNKU 連続トークセッション」思考の文体とその力:廣松渉の軌跡に寄せて 熊野純彦
- 7月17日(土)午後6時半より
- 熊野純彦(くまのすみひこ):1958年、横須賀市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学文学部助教授(専攻・倫理学)。
- 『レヴィナス 移ろいゆくものへの視線』(岩波書店、1999年)
- 『ヘーゲル:<他なるもの>をめぐる思考』(筑摩書房、2002年)
- 『カント 世界の限界を経験することは可能か』(NHK出版、2002年)
- 『差異と隔たり 他なるものへの倫理』(2003年、岩波書店)
- 『差異のエチカ』〔共編者〕(ナカニシヤ出版、近刊予定)など。
このようなかたちで廣松渉について語ることは、おそらく二度とないだろう。私なりの思考の痕跡をなお書きのこしてゆくことが、廣松がしめした〈倫理〉のかたちに応える、ほんらいのみちすじであると、いまはかんがえている。(「あとがき」より)
人間のあり方や世界のあり方を解きほぐすために、孤絶な闘いを生きた稀有な哲学者・廣松渉。かれが逝去して、すでに10年が経ったいま、廣松哲学とはなんであり、現在なにでありうるか。20年近くにわたり、親しくその謦咳に接してきた著者が、その問いに真摯に向かう。まるで、それは同時に、この国の戦後という時代に展開された、ある思考の可能性をたどることにもなるはずである。
- このトークは 『戦後思想の一断面:哲学者廣松渉の軌跡』(ナカニシヤ出版)の出版記念です。
なので、事態が現状のようになってしまったことは──切ないことではあるが──、いたし方のないことだったのではないだろうか。
いいじゃないか。革命(家)だもの。
- 作者: 熊野純彦
- 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
- 発売日: 2004/04
- メディア: 単行本
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