エスノメソドロジー・会話分析研究会 春の例会@京都

糸冬了。
帰還。


それで「応用エスノメソドロジー」と「ハイブリッドスタディーズ」はどっちが強いですか 問題ですが。
二日目に「応用EM」というお題で登壇された重鎮山崎敬一先生(天才)が、見事に素敵なちゃぶ台返しを披露してくださいました。記憶にもとづき わたくしなりの言葉でまとめてみると大略こんな感じ:

  • a)エスノメソドロジー研究は応用を指向しない。その意味は、「〈〜のための応用〉という前もっての構えが 研究の方向や対象に向かう態度を あらかじめ狭めてしまう」のを警戒する、ということ。
  • b)しかしそれは「エスノメソドロジー研究は〈いわゆる応用〉とは無縁である」ことを意味しない。むしろ逆だ。
    エスノメソドロジー研究には「その都度のフィールドで出会うリソースに十全に配意し・活用することを目指す」という使命があるのであって、実際にそのように研究をすすめることは、ふつうひとが「応用」と形容することと ほとんど重なっている筈だ。

 怪しいのは「応用」という発想のほうなのであって──あるいは 少なくとも「応用」というのはそれ自体吟味の必要な概念なのであって──、その怪しい発想でもって なにか(たとえばエスノメソドロジー研究) の価値や可能性を測ろうとするのは 倒錯している。
 そしてまた──上記の理由bにより──、「エスノメソドロジー」の前に「応用的」を冠する必要は そもそもない。


てことで。
以降、「エスノメソドロジー」の前に なんか形容詞とかをつけたりするの禁止。というまとめで。

そもそも形容(動)詞ひとつで「オリジナリティー」とか「新味」とか出そうとすんのやめれ、と。