夕食前半。
- 作者: 清水強志
- 出版社/メーカー: 恒星社厚生閣
- 発売日: 2007/04
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (5件) を見る
(このネタで)小ロールズへの言及がないのは残念ねぇ。
- [p.1] [パーソンズ、バーガー、ブルデューたちは]デュルケームに対して高い評価を与えているが、私自身としてはより高い評価を与えたいと考えるのである。彼は個人的なものを社会学から排除するどころか、個人の行為における独自性および自由、認識においては直観すら重視している。つまり、デュルケームの社会学には、意志を持ち自由に行動する「能動的人間」が存在するのである。(‥)デュルケームは個人主観や直観をも重視していた(‥)。
- [p.5] [『プラグマティズム』]講義は{ママ}これまでデュルケーム社会学における社会的事実による外在的かつ拘束的によってなされるという「受動的行為論」を補足する「能動的個人行為論」を見出すことができる(‥)。
- [p.5] 自由の国フランスを愛するデュルケームは、どんなに個人の外に「命令」を与える正当な社会の存在を認めたとしても、それでよしとするわけにはいかなかった(‥)。個人は社会によって拘束された「自動人間」ではない。人間は明確に意志と自由を有している。デュルケーム自身、自由のために闘う知識人であった。その彼が社会による個人の拘束を主張したとしても、それが人間の能動性の否定を意味するはずがない。
- [p.61] 彼は場所だけでなく、時代と共に人々の価値基準が変化することを認めていた(‥)。
- [p.239] 彼は、社会学者としての観察の視点と、行為主体の行為および思考時の視点という二面性を有していたのである。
- [p.239-240] あくまでも、行為を行うのは個人である。デュルケームは人間の二元性として、個人的なものとともに社会的なものが内在していることを指摘している。つまり、社会は個人の外にあるともに、内にも存在するのである。
- [p.240] 外在的な命令に対して拘束的に受動的に行為を行うのではなく、本人の意思によって行為を行うことがデュルケームの社会論には存在しているのである。
「デュルケームはふつうだった」というまとめでいいですか。
ソルボンヌ大学での代表的講義リスト(1902-1916)
p.31- あたりから作成。
1901-1902 | 『基準』第二版(「客観的方法」) 「刑罰進化の二法則」 | ベルクソン、コレージュ就任 | |
---|---|---|---|
1902-1903 | 道徳教育 | 6/4 ソルボンヌ就任 9月から講義開始 「分類の未開形態」 | |
1903-1904 | 19世紀初頭の教育学 | ||
1904-1905 | フランス中等教育史 倫理学 | ||
1905-1906 | フランス中等教育の形成と発展 小学校における知育 | ||
1906-1907 | 宗教:その起源 | ベルクソン、コレージュ正教授 | |
1907-1908 | 結婚の進化と家族 | ||
1908-1909 | 倫理学 教育学史 | ||
1909-1910 | 倫理学(続) 18世紀以降の大教育学説 | ||
1910-1911 | 倫理学(続) | ||
1911-1912 | 学校における道徳教育 | 「価値判断と現実判断」 | ベルクソン:ジェイムズ『プラグマティズム』仏訳版序文 |
1912-1913 | [不在] | 『原初形態』出版 | |
1913-1914 | プラグマティズム講義 実証主義と社会学 | 「内的社会の宗教システム」 最後の『年報』 | |
1914-1915 | 理論的市民的道徳 | 「宗教の将来」 「人間の二元性とその社会的条件」 | 世界大戦 親友ジョレス暗殺される |
1915-1916 | コントおよびサン・シモンの社会哲学 18世紀と19世紀の偉大な教育学学説(=ルソーの教育説) | 『誰が戦争を望んだか』 『世界に冠たるドイツ』 | |
1916 | 『フランス人すべてへの手紙』 | 息子アンドレの訃報届く | |
1917 | (死亡) |